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広島高等裁判所 昭和46年(う)11号 判決

主文

一、被告人ら全員につき

原判決を破棄する。

二、被告人塩田道吉、同住田孝男をいずれも懲役三月に、

被告人藤田哲雄、同田部正博、同西村淺吉、同小島康生、同濱本進也、同小田正司をいずれも罰金二、五〇〇円に、被告人吉本敏彦、同角野十治をいずれも罰金二万五、〇〇〇円に、同和田繁美を罰金二万円に、

被告人梶原則之を罰金二万円に、

各処する。

被告人藤田哲雄、同田部正博、同西村淺吉、同小島康生、同濱本進也、同小田正司、同吉本敏彦、同角野十治、同和田繁美、同梶原則之において右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

被告人塩田道吉、同住田孝男に対し、この裁判確定の日からいずれも二年間その各刑の執行を猶予する。

原審および当審における訴訟費用のうち、

(一)原審証人梶山美路(四回、八回、九回各公判、以下「公判」省略)、同川本芳(九回、一〇回)、同安成稔(一二回)に支給した分の各二分の一は被告人藤田哲雄、同田部正博、同塩田道吉、同住田孝男、同西村淺吉、同小島康生、同濱本進也、同小田正司、同梶原則之の各平等負担とし、

(二)原審証人木村昭宣(一八回)、同西川好彦(一九回)、同中川敏秋(一九回)、同木村又一(一八回)、同幡手実(二〇回)、同浜野了一(二五回)、同古田勝(七三回、昭和四三年二月二二日分)、同田村弘治(七三回)、同浜野百合雄(七三回)、同松原正(一七回)、同水島英夫(二四回)、当審証人木村又一、同西川好彦に支給した分は被告人藤田哲雄、同田部正博の連帯負担とし、

(三)原審証人三好等(五回、昭和三七年一一月一六日分)、同中野茂美(五回、右同日分)、同高田謙吉(七回、八回)に支給した分の各二分の一および当審証人新田淳夫に支給した分は被告人吉本敏彦、同角野十治、同和田繁美の連帯負担とし、原審証人中川秋雄(一二回)、同千羽幸夫(一三回)、同松田惇朗(一三回)に支給した分の各二分の一および当審証人千羽幸夫に支給した分は被告人吉本敏彦、同角野十治の連帯負担とし、

(四)原審証人右田一郎(一九回、二〇回)、同田部恒和(二三回)、同山本緑(二一回、二二回)に支給した分の各二分の一および同松尾勇(二八回)、同藤田美佐子(二九回)、当審証人滝口竣司に支給した分は被告人塩田道吉の負担とし、

(五)原審証人下野忠夫(一九回、二〇回)、同大西猪三雄(二一回、二二回)、同高木近雄(二四回、二五回)、同中野進(二六回)、当審証人木下満夫、同山田潔水に支給した分は被告人住田孝男の負担とし、

(六)原審証人安田嘉吉(一八回)、同吉広栄助(一九回)、同森哲朗(一九回)、同宮城和人(二〇回)、同藤井久二(二〇回)、同八木正(二二回)、同東谷靖夫(二二回)、同山田敏夫(二二回)、同大久保博司(二三回、昭和四〇年六月九日分)、当審証人安田嘉吉、同藤井久二に支給した分は被告人西村淺吉、同小島康生、同濱本進也、同小田正司の連帯負担とし、

(七)原審証人松井一男(二一回)、同吉岡計右(一八回)、当審証人坂元祥浩に支給した分は被告人梶原則之の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人藤田哲雄、同田部正博、同西村淺吉、同小島康生、同濱本進也、同小田正司につき広島高等検察庁検察官斉藤正雄提出山口地方検察庁下関支部検察官吉開猛作成の控訴趣意書、また、その余の被告人らにつき同弁護人君野駿平、同寺村恒郎、同田川章次、同木梨芳繁共同作成の控訴趣意書各記載のとおりであり、そして、右各答弁は、広島高等検察庁検察官斉藤正雄作成の答弁書ならびに弁護人君野駿平、同内藤功、同寺村恒郎、同木梨芳繁、同田川章次、同松本健男共同作成の答弁書および答弁補充書各記載のとおりであるからこれらをここに引用する。

これらに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

(なお、以下本判決中の略語は原判決の表示に従う。)

第一章  総論関係

検察官、弁護人ら双方の各控訴趣意中、原判決のうち第一章「総論」部分および第三章「車両分散ならびに車両確保についての主張に対する判断」部分に関する各控訴趣意(検察官の控訴趣意書中第二および第三のうち車両確保戦術に関する部分ならびに弁護人らの控訴趣意書中第五章)について。

まず検察官の論旨は要するに、(一)、原判決は、その「総論」部分で、昭和三四年一二月の支部組合の分裂につき、これは主として会社側の支部組合弱体化対抗策の一戦術として積極的な分裂工作が展開された結果であるとみるのが相当であると判示しているが、右分裂は会社側の分裂工作によるものではなく、支部組合の闘争至上主義、政治闘争主義、職場と組合機関との意思の疎通の欠除、非民主的な組合運営などにあきたらずしてこれに対し強い不満をいだく多くの組合員による内部崩壊に起因するものとみるのが至当であつて、この点右判示には事実の誤認があり、そして(二)、原判決は、その「総論」部分で昭和三五年春斗以降本件争議に至るまでの間会社側が山労員を庇護して支部組合員に不当な差別取扱いをなし、また、支部組合に対しては常に強硬な態度で臨み、争議対策もきわめて積極的かつ攻撃的であつたなどとして縷々事実を挙げて説示しているが、原判決の指摘する賃金遅配策は支部組合、山労の区別なく全従業員に対して実施されたものであり、原判決の例示するその余の差別取扱いと称されるものについても、当時支部組合から山口県地方労働委員会に不利益取扱、支配介入事件として申し立てがなされたところ、いずれもその理由なしとして棄却されているものであり、さらに会社側の本件争議に際しての塀、柵等の改築、有刺鉄線の構築、補強、争議心得の作成、車両分散計画の樹立等の事実も、昭和三五年春斗に際してのストライキで会社保有のバス総数二六〇台のうち二二〇台も支部組合側に確保された経緯からしての全く必要最少限度の防衛的なものであり、また、原判決の指摘する会社側が右翼の協力を受け、暴力団を雇い入れているといつた事実も、これを認めるに足る十分な証拠はなく、むしろ支部組合こそきわめて闘争的であつて、山労も労働組合法所定の本来の性格になんら背馳するものではなく、これら多くの点で原判決には事実の誤認があり、さらにまた(三)、原判決は、その第三章車両確保等に関する判断部分で、結局、本件の場合、支部組合のとつた車両確保戦術はいまだ正当な争議行為の範囲内にあるというのが相当であるとしているが、しかし、原判決が支部組合が車両確保戦術に出でた事情として挙げる諸点はいずれも事実の誤認であり、その他本件争議時における諸般の事情を種々考慮に入れるも、本件車両確保戦術は、労働力の集団的売りどめという同盟罷業本来の性格を逸脱して、積極的に会社の車両に対する支配権能を侵害、排除してまで操業を阻害せんとするものであつて、とうてい正当な争議行為としては認められないものであり、これらの点原判決には事実の誤認、また法令の解釈、適用の誤りがある、というのである。

次に、弁護人らの論旨は要するに、(一)、原判決は、その第三章車両分散、確保等に関する判断か所で、「現行法における労働法の存在は、市民法体系の労働法的修正と認めざるを得ない」などとして、結局労働法原理は市民法原理に対する修正的機能をもつにすぎないもののように判示しているが、これは労働基本権に関する法令の解釈を誤つたもので、その結果会社の操業の自由と業務性についても誤つた解釈をなすに至つたものとみられ、さらに(二)、原判決は、会社側の争議対抗行為の業務性についても、争議対抗行為の正当性を否定する論拠はないとしてこれを認めているが、会社の争議対抗行為に威力業務妨害罪等における業務としての保護を与えることは不当に労使対等の原則を侵し、法的平等に反するものであつて、この点原判決には法令の解釈適用の誤りがあるというべく、そしてまた(三)、原判決は、会社のなした車両分散行為を所有権の静的機能にほかならないとして適法であると認め、また分散は運行目的のためであつたとみるほかないとしているが、車両分散は、会社側が道路運送法一九条一項違反等あらゆる違法行為を敢えてしてでも、ピケツテイングを破り、組合の正当な争議権の行使を阻害しようとする目的に出でたもので、違法なものと断ずるほかなく、この点原判決には事実誤認、または法令の解釈の誤りがあり、なおまた(四)、原判決は、車両確保の争議戦術は一般的には違法であるとし、かつ、その場合の車両確保戦術とは会社の車両を「争議団の勢力下にある使用者側の所有地或は車庫に格納し、争議終了までこれを支配管理する争議戦術を云う」と規定しているが、右車両確保なるものは、争議戦術としてこのような特別なものがあるわけではなく、実態はピケツテイングまたはシツトダウン戦術の一種にほかならず、争議行為の前提として、まずその基本ルールたる車両を本来の車庫に格納させることを守らせることによつて争議権行使の実効を確保しようとするものであり、集結した車両につきスト破り集団に対する正当なピケラインによる説得は当然であつても、会社側の保安点検は無条件に認めるものであつて、決して車両を「支配管理」するものではなく、これらの点、原判決は右事実を誤認し、また、右一般的にも違法であるとしている点右法令の解釈を誤つたものというべきである、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録により以下検討するに、右各論旨は多岐に亘り、また相互に関連し、原判決がその第一章「総論」部分で本件争議に至るまでの経緯等につき詳細な事実認定をなして、その第三章車両分散確保等の項でこれらについての法律的判断を示していることに対応して種々弁駁主張するものであるが、要するに、これらは右諸事実等から、後記各論部分で説示するような被告人らの本件各所為が、行為自体の違法評価の点も含め、争議行為として正当なものとみられるかどうか、また各論部分の威力業務妨害罪の成立につき問題となる対象が果して業務といえるかどうかという点に帰するものとみられ、この関係において特に本件争議における会社側の車両分散、支部組合側の車両確保戦術なるものの当否も主要な問題とされることとなるとみられるので、これらとの関連で、原判決の認定説示する事実のうち右に関するものについて以下論旨にそい判断することとする。

一、組合分裂と分裂後の会社側の組合対応状況および山労の性格について。

原判決挙示の各関係証拠によると、山電会社には本件争議二年前の昭和三四年当時は約一、三〇〇余名の従業員のうち若干の職制等非組合員を除いてほぼ右全員の従業員が加入組織する総評傘下、私鉄総連加盟の私鉄中国地方労働組合山陽電軌支部(支部組合)なるものが唯一つ存在していたが、まず昭和三四年一二月二四日に、同年一〇月ころから一一月にかけての会社の機構改革で係長に登用された植田、中山、河村三係長がその三役となり九七名の支部組合脱退従業員をもつて組織する新組合「山陽電軌従業員組合」なるものが支部組合から分裂発足したのを皮切りに、次いでまた右翌二五日には、これとは別に「山陽電軌労働組合結成準備会」なるものも誕生し、そしてさらに、結局同年一二月二九日、右両者は統一されて元支部組合副委員長小浜俊昭を委員長とし約一〇〇名の山電従業員をもつて組織する第二組合「山陽電軌労働組合」(山労)なるものが生成し、以後同組合員数の変遷を経て本件争議に至つている事実をたやすくうかがうことができるとともに、右組合分裂の原因について、検察官は原判決の説示するような会社側の分裂工作なるものは関係ないものであるごとく主張しているが、たしかに右分裂工作なるものをうかがわせる直接の証拠はないのみか、支部組合自体にも検察官指摘のごとき分裂要因が全くなかつたともいえないところではあるものの、原審証人香山重孝、同楠本拮美、同梶山美路、同松田朝一(六九回)、同川本芳(九回)各供述記載等原判決挙示の各関係証拠によりうかがわれる右分裂時および分裂前後の状況、経緯、分裂組合の構成等諸般の事情を詳さに検討するとき原判決の説示するところも十分首肯しうるところで、右組合分裂が会社側のなんらかの形での強い関与を背景にのみなされたであろうことはこれを推知するにかたくないところといえる。右関係は当審証人香山重孝の供述記載に徴し一層明らかにされるところといえよう。この点の原判示は正当で検察官の論旨は採用できない。

次いでその後、昭和三五年春斗を経て本件昭和三六年春斗に至るまでの間の会社側の右支部組合、また山労に対する対応の状況としては、原判決挙示の各関係証拠のうち、特に原審証人篠原卓、同香山重孝、同楠本拮美、同上村源治、同松野彰、同大中勝、同梶山美路、同松田朝一、同大賀徹雄等の各供述記載を合わせ考量するとき、原判決が「総論」部分において説示する池田、松原事件、深谷事件、奥村事件、大賀、末広事件、松野配転問題、彦島配車問題等多くの人事および執務上の諸問題につき個々的にはそのすべてにつき差別取扱い、不当介入等不当労働行為(地方労働委員会への申立は認められていない)としての証拠上の明確な断定はなしえないにせよ、これら一連の事象を全体として通らん勘考するとき会社側が特に昭和三五年春斗以後山労に比し支部組合所属の従業員に対し、人事上の処分、配転、また執務におけるバス担当替、新車割り当て、運番の取決め等多くの関連で強い差別的、攻撃的態度を示している事実は推知されなくもないところで、これが前記組合分裂に引続いて支部組合に対し会社側の強い組合破壊攻撃とも受けとられ、本件昭和三六年春斗の重要な根因をなしたものであることは否定すべくもなく、これらの関係で原判決の説示するところも、その大旨においてはほぼ首肯しうるところといえる。

そしてさらに、原審証人楠本拮美、同梶山美路(四回)の各供述記載、「反合理化、権利擁護の斗いの発展のために」と題するパンフレツト一冊(当庁昭和四八年押第五号の四六)によると、前記組合分裂後、山労は、その所属組合員数が山電従業員約一三〇〇名のうち昭和三四年一二月の分裂当時一〇〇名程度であつたのが昭和三五年五月の同春斗の際は約六〇〇名に、その後多少の出入りはあつたものの、本件昭和三六年春斗の際には約八〇〇名くらいにふくれあがつている事実がうかがわれるところ、本件争議時におけるこの山労の性格につき、原判決挙示の各関係証拠によりうかがわれる右分裂および同分裂後の経緯、また後述するごとき本件争議時における山労の行動経過等に徴するとき、いわゆる御用組合であるとの非難は一方的であるとしても、たしかに支部組合に比すると、かなり会社側に協力的な性格のものであつたことは否めないところで、右組合員数の増加も右分裂後の会社および山労の対応状況に大きく影響された結果であろうこともたやすく推知されるところではあるが、原判決挙示の各関係証拠によりうかがわれる山労の組織、行動経過等を仔細に検討するとき、山労を組織する組合員も、たしかに支部組合所属の組合員に比するとかなり異なつた、あるいは支部組合側からすると反労働者的ともみられる意識に由来するものであるにせよ、ともかくそれぞれの自主的な判断によつて山労に加入し、他の多くの組合員らとそれなりに労働者の経済的地位の向上を図るべく山労を組織し行動している事実は否定しがたいところで、これらに対し支部組合としては、もし会社側の不当労働行為を問題にするのであればこれに対して所定の手続で救済を求める一方、自らの信ずる労働者の在り方については双方の自由な言論の場で山労に働きかけるなどするほかなく、これら事情等から、原判決がいうごとく山労が労働組合の本来の性格に背馳するものと一概に断ずることはできない。

二、移動隊と争議心得について。

原判決挙示の各関係証拠によると、会社側は本件争議に際し、支部組合がストに突入した五月二七日以前からスト突入の場合を想定して山労所属の山電従業員による就労を予定し、種々スト対応策を目論み、遅くとも五月一五日ころには、当時会社側の争議関係等の最高機関として組織されていた会社重役松田、長沼、加藤、田辺ら四常務、川本教養課長、長宗電車課長、安成運行課長、拓植業務課長、平田資材課長、梶山労務課長、大屋会計課長、波多野事業課長ら八課長をもつて構成メンバーとする交渉委員会において、右山労の就労を前提に争議中もできるだけ車両の運行を図るべく、まず運行車両の十分な確保を目ざし、このために当時強く予想される支部組合側のいわゆる車両確保戦術なるものに対応して、車両を車庫以外の相当な場所に分散することの計画、また同分散および分散車両の保全看守あるいは警備などのための機動的要員として山労所属の従業員をもつて移動隊を編成することの計画、その他本社、車庫周辺の塀、柵を補強することなどを協議策定し、右各分担を取り決め、次いで五月二〇日すぎころ会社会議室で、右交渉委員会は山労の三役を含む執行部と右協議を行い、争議中の山労の就労および移動隊の編成、車両の分散確保等への協力の応諾を得、山労もその後の職場集会等で所属組合員の諒承をも得て、かくして五月二五日、まず会社側平田、波多野両課長を担当指揮者とし、山労副委員長大賀徹雄を隊長、山労所属の会社従業員約八〇名をもつて組織する移動隊二個小隊を編成し、同移動隊はその後、スト突入の五月二七日広島電鉄、石見交通の山労側支援オルグ約四〇名によつて組織される第三小隊、さらに本件争議中の五月二九日にはアルバイト学生若干名による第四小隊(同日のみ)、彦島営業所、小野田営業所所属の山労従業員約三、四〇名宛によつて組織される第五、第六小隊を追加編成し、本件争議に際しては下関別館、新地町の旅館等に分宿あるいは待機し、山電バス数台を利用して車両の分散、確保、同保全、警備等に集団で従事している事実がうかがわれる。

しかも、右移動隊の行動については、さらに原判決挙示の各関係証拠によると、原判決が「総論」部分でその全文を掲記するような内容の「争議心得」なるものが、右移動隊等の行動要領として本件争議前山電梅田営業課長によつてその原案を作成され、後、課長会議、交渉委員会等での協議、また五月二〇日すぎころ山労幹部との協議も経て、そのうちの「前提」および「Ⅱ車両の奪取」以下を除き一部「車両確保後の処置」というらんを追加したものを、ガリ刷りにしたうえ現場課長を通じ山労所属の従業員の大方に配布し、その行動の一般的準則を示している事実がうかがえる。右配布された争議心得がその全文の一部省略か、一部カツトかについては弁護人から強く争われているが、右文面、配布の経緯等からして会社側が除かれた部分をも十分諒知して場合によつてはその実行を図る意図でもあつたとみることは困難である。しかしこれはともかく、右争議心得が、基本的には当時予想される支部組合側の激しい車両確保戦術に対する防衛的な性格のものであつたとはいえ、その文面には特に右除かれた部分につき右防衛的対抗措置として相当な範囲をこえ妥当を欠ぐ点も少くなく、会社上層部が右全文を関知しないなどとはとうてい認めがたいところで、会社側のかなり強い争議対応の意図、姿勢を示すものである事実は否定しがたいところといえる。

三、車両分散について。

原判決挙示の各関係証拠によると、本件争議に際しては、前記のとおり会社側は支部組合側の車両確保戦術に対応して車両分散策を目論み、本件争議前の五月一五日ころ交渉委員会で安成自動車運行課長を車両分散関係の担当として同分散計画を協議策定し、同月二三日ころには右安成運行課長を中心に下関、東駅、彦島、小月、小野田、大津等の各営業課長らが集まつて各地の具体的バス分散計画を取り決め、本件スト突入前の五月二五日ころからすでに右分散をはじめ、翌二六日、また争議中にかけ、分散地は支部組合側の車両確保を避けるために遠隔地、また第三者所有地あるいは第三者管理の建物等を選び、第三者所有地等はこれを借り受けあるいはこれに預けるなどして、その日の営業を終つた貸切車等から順次回送する方法で、若松貯炭場、小郡民生、山口日野、第二藤山炭鉱、山陽自動車学校、日本食糧倉庫、竹の子島等々に、数台ないし一〇数台あてのバスを分散し、一部分散地から運行に供し、また争議中は右分散地において一部車両につきそのハンドルにチエーンをかけ、チエンジレバーをはずし、タイヤの空気を抜くなどしてすぐには動かせない状況にもし、結局本件争議において会社側も山電バス二六五両のうち約半数の一三八両につきこれを確保して、争議中も全運行車両の一割にも満たない程度ではあるが可能な範囲内でバス運行による操業をなしえた事実をうかがうことができる。

弁護人らは前記論旨で、右車両分散は道路運送法一九条一項に違反するもので、労働組合のピケツテイングを無効ならしめる目的以外のものではない、と主張しているが、右道路運送法違反の関係は本件業務性との関係で後述するとして、右分散の目的は、右認定の経緯に徴しても明らかなとおり運行目的でなかつたとはいえない。この点は原審証人安成稔、同梶山美路、同川本芳(九回)、同平田均(四五回)、同梅田一三、同木村哲夫、同三宅正美(被告人住田の関係)の各供述記載のほか、原審証人楠本拮美、同篠原卓の各供述記載、同赤出勇尋問調書等をも合わせ考量するとき、会社側は本件前年の昭和三五年春斗において支部組合側に今回に比するとほとんど無防備の状態のまま会社所有バスの九〇パーセントにも達する大方を本件ほぼ同様確保されてほとんど運行できない状況にあつた経緯から、本件争議においてもスト突入前から四囲の状勢に応じ右同様な事態の発生を強く危惧し、予想される支部組合側の車両確保戦術に対応すべく、前記のごとく車両を分散してこれを確保し、分散地からの運行等で争議中でもできるだけバス運行業務の遂行を図ろうと考え、本件車両分散に至つたものであることが明らかであつて、結果的には正当なピケツテイングの行使をも困難ならしめることとはなつても、これは右車両分散に随伴するやむをえない事態であつて、このため同分散が、支部組合側のスト破壊を目的としたものとは認められない。原判決の運行目的のための車両分散であるとする認定には誤りはない。

四、本件争議における支部組合側の要求と会社側の対応状況。

原審証人梶山美路、同松田朝一、同篠原卓、同内山光雄、同三橋幸男、同安恒良一の各供述記載等原判決挙示の各関係証拠によると、支部組合側は本件争議に際しては私鉄総連を中心とする共斗態勢として統一指導委員会(統一委)の指導の下で行動することとなり、右統一委において五月二一日から会社側と支部組合側の要求項目について団交を重ね、五月二四日からは、会社側は前記松田ら四常務、支部組合側は三橋私鉄総連副委員長、内山私鉄総連組織部長、香山私鉄中国委員長ら統一委の三名によつて構成されるいわゆるトツプ会談なるものをスト突入の直線ころまで継続したが、結局右双方決裂に至つたのは、支部組合側の三五年春斗に引続く種々多彩な本件要求項目(賃上要求のほか、不当配転、不当解雇問題、会社側四名の処分要求、配車基準の設定、運行時分の取決め―ダイヤ編成権の問題、労働協約中の懲戒同意約款、シヨップ制の問題等)のうち、労働協約中懲戒同意約款の存廃、改定に関してであり、他は、最後まで難航したダイヤ編成権に関する問題も私鉄総連の保証という形で解決し、これらいずれも双方歩み寄つてほぼ妥結に至つたものであるところ、右懲戒同意約款なるものは、最終的には、特に懲戒解雇につき、会社側は双方四ヶ月間協議してまとまらないときは会社が決する、支部組合側は双方四ヶ月間協議してまとまらないときは地労委等第三者の裁定による、という案で対立し、支部組合側も当初の双方まとまるまで協議するという案からするとかなり譲歩したものとみられるも、会社側は遂にこれだけは応じがたいとして右決裂に至つたものであり、会社側が右懲戒解雇条項に固執したことにつき支部組合側にあるいはこれを濫用して支部組合への攻撃を意図したのではなかろうかと危惧させる事情も少くないが、他面右懲戒解雇権の性質上会社側が最終的にはその決定権を保持しようとこれに固執したのもうなづけなくもないところで、右解雇権の濫用ももとより裁判等所定の手続でその救済を求めることも可能なところであり、いずれにしても、これら諸経緯からして、本件争議が、原判決のいうごとく、むしろ会社側に挑まれてうたれた争議であつたなどとみるのは正当でない。

五、暴力団、右翼の関与について。

原審証人繁沢儀平、同三村源治(一八回)、同重田幸昭(七三回)、同中泉義春(五六回)の各供述記載その他原判決挙示の各関係証拠を総合すると、いずれもその人数はわずかであるが、通常いわゆる暴力団とみられるようなものが会社側のバリケード構築、車両の警備などに雇われていたこと、また右翼とみられるようなものが争議に介入していた事実を認めることができ、会社側が暴力団および右翼を特に支部組合側に対する争議対抗要員として意図的に雇入れ、あるいは利用したとまでは認められないが、右事実を知らなかつたともみられない。

六、車両確保戦術と本件争議行為の正当性について。

原審証人篠原卓、同三橋幸男、同安恒良一、同内山光雄、同楠本拮美の各供述記載、原審証人赤出勇尋問調書等原判決挙示の各関係証拠によると、支部組合側は本件昭和三六年春斗においては前記のとおり統一委の指導の下に行動することとなつたが、その統一委の最高機関たる戦術委員会では、本件争議にあたり、いわゆる車両確保戦術なるものを検討してこれが採用を決定し、現に被告人らを含む多くの支部組合員および支援労組員によりこれを実施し、山電バス約二六〇台のうち半数近くを確保するに至つている事実がうかがわれるところ、右いわゆる車両確保戦術なるものにつき、右統一委指導部の考えるところでは、個々的には若干異なつたニユアンスはあるが、結局、相手方に対する平和的説得(納得)で車両を会社の所定の車庫に入庫させてそこで同様平和的説得の範囲内でのピケを張ることだとされているように解され、右平和的説得の意義も相手方の自由意志に反してまでなしうるようなものを意味したものとも解されない。しかし、右車両確保戦術なるものにつきこれが現実に実施された行為の態様、内容は、少くとも本件に関する限り、原判決挙示の各関係証拠によると、後記各論部分の認定事実からも明らかなとおり、右統一委指導部の考えているところとはかなり異なつた内容のものであつたとみられ、当時相手方に対する説得らしい説得はほとんどなされていないのみか、車を止め、車内に入りほとんど有無を言わせずこれを支部組合側の支配する会社車庫、会社所有地等に回送集結して占有し、右バスの一部は支部組合側の者の宿泊、またピケ隊の移動用にも用いているというものであつて、相手方の納得あるいは同調を前提とする就労阻止という性格からするときわめてかけ離れたものとみざるをえない。

一般に、この車両確保戦術なるものにつき、原判決はその第三章二で、「車両確保と称される戦術は、通常生産手段たる車両を争議団の勢力下にある使用者側の所有地或は車庫に格納し、争議終了までこれを支配管理する争議戦術を云う」と定義しているが、この点は、たしかに弁護人らが前記論旨でも指摘するとおりピケツテイングの行使により結果として間接的に生じた生産手段たる車両の支配管理という事実と車両確保戦術の意義とを混同したものとの非難は免れず、車両確保戦術が、争議手段としてはピケツテイングあるいはシツトダウンの範疇に属する一態様のものとして問題とされるものであるとする論は一応うなづけるところといえる。ただしかし、本来ピケツテイングは、現に就労し、あるいは就労しようとする者に対しその行為を阻止することにあり、さらにこれらの者をして積極的に会社の車両の回送等一定の行為をなさしめ、あるいは自らなすことまで意味しない。一般に、法律上許容されるピケツテイング等積極的な態様の争議手段としては、現に労務に従事する者に対する人的な関係を通じて、これに対する平和的な相当な態様での働きかけ(説得)によりその自由意志での就労を阻止することにあり、少くとも最終的には相手方の納得あるいは同調を前提とするものであるとともに、生産手段等物的な関係に対する直接的な働きかけを含まないものと解さなければならない。もつとも、右ピケツテイングの行使としての説得の過程および前提としてこれに必要的に随伴するものとしてある程度の相手方の受忍、また物的な関係に対する直接的な働きかけをも容認しなければならないこともあるのは否定しがたいが、右車両の移動という点は当然には右ピケツテイング等の範疇に包摂できないものである。

憲法は労働者に団結権、団体交渉権のほか団体行動権を保障し、争議権を認めている。これはいうまでもなく現行資本制社会において個々的には経済的弱者である労働者に団結権、団体行動権を保障することによつて労使間の対等な立場を保持しこれを前提に労働諸条件の適切な決定、ひいてはその経済的地位の向上を図ろうとしたものと解され、右争議権の内容についても、労働関係調整法七条は「争議行為とは、同盟罷業、怠業、作業所閉鎖その他労働関係の当事者がその主張を貫徹することを目的として行ふ」ものであつて「業務の正常な運営を阻害するものをいふ」と規定していて、同盟罷業のごとく、単に労働力の集団的不提供という消極的な態様のものに限らず、右憲法が団結権、団体行動権を保障する趣旨に照らし、相当な範囲内ではピケツテイングその他積極的な態様のものも含む趣旨と解さなければならないことはいうまでもないところである。争議の本来の姿は、おそらくは当初、一企業内の全労働者が集団で労務提供を拒否することにより、争議期間中は、労働者は賃金請求権を失ない、反面、使用者は企業利潤を失なうという関係に立つて、双方たがいに持続し合うという状況を予定したものではあろうが、経済および労働市場の変せんとともに、産業の構造、労務の性質、態様、組合の形態等に応じ右状況も変容し、もし使用者側は争議に入つても容易に代替労務者を雇い入れるなどしてその業務を持続することができるものとしたら、労働者側にも右状況に応じかなり強い形での右業務阻害の方途をも認めなければ、前記争議権の保障といつたことも結局は絵に書いた餅に等しい結果になつてしまう。

労使対等という団結権、団体行動権保障の基本的原理は、もとより現実の争議の場における労使間の力の均衡を常に保障することを意味するものではないが、争議に至つた経緯、争議時の状況等諸般の事情によつては、双方の力の均衡が保てるように右争議権の手段、態様をかなり積極的な形のものに解さなければならないし、また、解することができるものというべく、ピケツテイングの範囲、程度についても、一般的には、争議権行使の実効性が不当に阻害されて労使間の力の均衡を大きく失い、かつそのため労働者の経済的地位が現に著しく阻害されるような場合には、ピケツテイングの範囲としてのいわゆる平和的説得の意義も、その説得の態様および同納得の程度またこれに随伴する諸関係等につき、本来の意味での説得の範囲にとどまらず、暴力等明らかに不当な手段によらないものである限り、かなり積極的な形のものも許容されることとなる場合もあることは否定できない。本件の場合、前記統一委指導部の考えるような車両確保戦術なら、車両の移動の点も含め、その実効性はともかく、少くとも本件のごとき状況下においては、これを格別否定すべき程の理由もないようにみられるが、しかし、そうではなく、現に行なわれた車両確保戦術のごときものについては、かりにこれが暴力等不当な手段によるものでないとしても、相手方(現に車両の保管等に従事する者)の納得、同調を前提としないもので、果してこのような態様での争議行為がなお許容されるものかどうかについては前記諸般の事情に照らしさらに検討してみる必要がある。

本件の場合、右諸般の事情として最も考慮しなければならないのは前記性格の山労の存在と、同所属山電従業員の争議時における行動である。本件争議においては、前記経緯で分裂、生成し、支部組合に比するときわめて会社寄りのいわゆる第二組合たる山労が存在し、現に会社全従業員の三分の二近くもの人員を擁して当時争議時も就労の意思を表明し、あまつさえ本来の業務とはかなり異質の車両分散、確保、同警備といつた業務(業務性については後述する)にまで、移動隊を結成するなどして従事しているという現実である。本件争議時において、たしかに、山労としても、弁護人も原審弁論で指摘するとおり、就労はするが、労働契約に従つた通常の業務にのみ従事するという方途を選ぶことも十分可能であつたとみられ、右変形された内容の業務の遂行にまで応ずべき義務があつたとは考えられないし、右山労の態度が本件争議時における労使間の力の均衡を著しく阻害したものである事実は否定すべくもない。しかしながら他面、憲法が規定する団結権、団体行動権の保障も、一般には、その労働者各個人の自由な判断による結論の尊重という前提の上に立つているものとみるべく、いかに分裂および分裂後の経緯が大きく影響したとはいえ、現に全従業員の三分の二近くをも擁する組合員によつて組織される山労が存在し、しかも各組合員が山電従業員としての個々の一応自主的な判断により就労を望み、かつ右変形された形での業務遂行までも従事することを応諾しているという事実は、支部組合としても争議突入の当然の前提事実として受容すべき事柄の一つであるといわざるをえない。支部組合としてはこれら山労所属の従業員に対しては口頭、団結その他相当な方法で労働者としての連帯感を強く訴え支部組合への同調を求めるほかなく、なおこれらが効を奏しなかつたからといつて、これら山労所属の従業員の意に反してまで右業務の遂行を阻止しうるものと解することはできない。右の場合、山労所属の従業員がその本来の通常の業務に従事する自由はもとより支部組合の争議中といえどもなんら否定されるものではないのみか、これら通常の業務遂行の当然の前提ともみられる運行車両の保全看守といつた行為に従事することも、これらが本来の業務遂行目的のためのものであり、ことさらスト破壊を意図したようなものでもない以上、会社側の争議対抗行為であるとして否定すべき理由もなく、さらに山労所属の従業員がその本来の業務およびその前提的右関連業務に従事する関係につき、原審証人川本芳(一〇回)の供述記載によりうかがわれるダブリ勤務の可能性なども考慮に入れると、右各本来の業務のほかさらに支部組合員の労務の代替(スキヤツプ)までも意図したとみられる余地がなくもないが、原判決挙示の各関係証拠によると本件争議時すでに労働協約も失効していて右代替労働を禁止すべき具体的制約はなかつたのみか、右代替労働といつても現実にはほとんど多くを期待できる状況にはなかつたとみられることなどからして余り問題とするに足らない。

かように、本件争議における山労の存在および行動は労使間にかなりの力の不均衡を生ぜしめ支部組合側の争議権行使の実効を著しく減殺するものではあつたが、これも支部組合としてはやむをえない事態というのほかなく、その他、さらに、前記認定のごとき、また原判決挙示の各関係証拠によりうかがわれる、本件争議に至る諸経緯、本件争議時における諸状況、会社の対応措置、山労の現実の行動経過、交通産業の特質等諸般の事情を十分考慮に入れるも、なお結局、本件につき、本来の平和的説得の意義の範囲をこえ、相手方の自由な意思による納得あるいは同調によらないで、その意に反してでも、車両を所定の場所に回送占有して確保しうるとするような争議手段の正当性を肯認することはできない。

原判決はその第三章で、その規定するごとき車両確保戦術につき一般的には正当でないとしながらも、その説示するごとき具体的諸事情によつて本件の場合は正当な範囲内のものであると結論しているが、この後段判示は正当でなく、右関係の検察官の論旨は理由があり、弁護人の論旨は採用できない。

七、山労所属従業員の車両分散行為等の業務性について。

前記のとおり本件争議に際しては、山労所属の従業員の大方は本来の車両運行という通常の業務に従事したものではなく、移動隊員などとして車両の分散、保全、警備等に従事したものであり、本件(小月事件、第一新地事件)での威力業務妨害罪で問題とされる対象も右のごときものであつたが、しかしこれらは、会社が争議中も山労所属の従業員によりその本来の車両運行業務を遂行しようとしたことから、そのために当然必要的に前提とされ、あるいは準備的な段階とされる、その運行バスの保全、看守という仕事に従事したことを意味し、バス所有者の当然の管理機能としての業務が通常と異なる形で表面化しただけともみられ、右車両分散等も、支部組合側の前記違法な車両確保戦術に対し防衛的にとられたものであつて、もし現に就労を希望する支部組合員がある場合その労務提供を拒否するというものでもなく、またもとより支部組合側のスト破壊等争議権行使の阻害を積極的に意図したようなものともみられないところで、争議中も会社側は少くとも現にストに加わらない山労所属の従業員による操業の自由はなんら失うものでもないと解される以上、車両分散等の態様に多少不相当な面もなくはなく、また弁護人指摘に車両分散に道路運送法一九条一項違反の疑がないともいえないとしても、右車両分散等が会社の業務としての性格および適法性を有することは否定しがたく、山労所属の従業員も右変形された態様の労務でも会社の求めによりこれを応諾して就労するというのであれば、これら就労による会社の業務遂行は威力業務妨害罪の対象としての業務になると解することができるものというべく、ただピケツテイングが正当な範囲内のものである限り右違法性を阻却することがあるにすぎないものといえる。

弁護人は右業務性につき種々主張しているが、車両分散が運行目的のためのものであつてピケ破りを目的としたものでないことはすでに前説示のとおりであり、これが結果的に争議対抗行為としての性格をもつたとしても、争議中も操業の自由が肯認される関係にある以上その結果としてやむをえないところで、右操業の一環としてなされた右車両分散等につき争議対抗行為に業務としての保護を与えたとの非難はあたらず、これら右主張は採用できない。原判決の右業務性を認めた判示結論は十分首肯しうるところといえる。

第二章  各論関係

検察官、弁護人各控訴趣意中、原判決の第二章各論部分の関係。

第一、下関ジーゼル事件

(被告人藤田哲雄、同田部正博らの各建造物侵入事件関係)

検察官控訴。

検察官の論旨は、要するに、原判決は、被告人両名の建造物侵入の本件公訴事実につきほぼ全面的にその外形的事実を認めながら、結局その行為当時、また前後の諸般の事情等から「被告人らの本件立ち入り行為は形式的には建造物侵入罪の構成要件に該当するけれども未だ刑罰を以つて臨まなければならない程の違法性はない」ものとして、あたかもいわゆる可罰的違法性の理論に立脚し、これを欠ぐものとしたかのごとく、右無罪としているが、これは右可罰的違法性に関する法令の解釈適用を誤つたか、その前提となる事実の判断を誤つたためのもので、その誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるから原判決は破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ以下検討するに、

一、まず原判決の確定した事実のうち、記録ならびに当審における事実取調の結果に徴して、当審においても首肯しうる被告人らの本件各所為およびこれに及んだ経緯に関する事実の要旨は次のとおりである。

(一)、山電従業員約一三〇〇名の大方をもつて組織する私鉄総連加盟の支部組合は、昭和三四年一二月会社の分裂工作等で組合分裂を生じ、第二組合山労を発足せしめるに至つて以来その後、賃上げ等で約一週間の全面ストライキを含む昭和三五年春斗を経て、さらに会社側の組合攻撃等の影響も受け山労所属組合員の増加する一方、会社側との間には強い離反対立を醸成するに至り、次いでこのような状勢の下で、再び賃上げ、労協改定問題、運行時分、ダイヤ編成権の問題、支部組合員らの解雇処分、不当配転取消要求その他多くの問題で、昭和三六年一月ころから会社側と団交を重ね、同年五月二一日からは私鉄総連を中心とする共斗態勢としての統一委において、会社側と団交し、さらに、同月二四日からは統一委の三橋私鉄総連副委員長、内山私鉄総連組織部長、香山私鉄中国委員長らと会社側松田ら四常務とのいわゆるトツプ会談の場で折衝を重ね、大方の妥結点に達したものの、最後に労協改定(懲戒同意約款の廃止改定)問題で難航、遂に五月二七日決裂し、支部組合は右統一委の指導の下に多くの支援労組の応援も得て、同日正午ころからまず俵山地方にはじまり逐次他地区に及ぶ全面ストライキに突入するに至つた。

(二)、そして、五月二七日の右スト突入とほぼ同時ころ下関市大坪町所在の株式会社下関ジーゼル整備工場(下関ジーゼル)に山電バスが置かれていることを察知した右統一委では、同日午后一時ころその共斗委隊長中田(総評)において統一委の直轄指導下にあつた支部組合青年部員から成る青行隊古田隊長に右車両の確保を指示し、同古田隊長は直ちに被告人藤田哲雄を含む青行隊員約六〇名を集め右指示を伝えるとともに運転手数名を同行して右確保のため下関ジーゼルに向つた。そしてそのころ給対部にあつた被告人田部正博も共斗委統制部からの運転手不足だから右同行するようにとの指示を受け、青行隊より約一〇〇メートルくらいおくれてその後を追つた。同青行隊の一行は同日午后一時半ころ下関ジーゼルに着いたが、古田隊長は会社側の車両確保阻止に備え青行隊員のうち四〇名くらいを正門外側に待機させ、被告人藤田を含む一〇数名の青行隊員と被告人田部ら運転手数名が相次いで構内に入り、当時下関ジーゼルが山電から整備、修理などのため預り保管中で、同構内東側工場内に一名、南側工場内に四台、工場横空地に五台、計一〇台置かれていた山電バスのうち整備未了で運転不可能な車両二台を除き、なお整備中でも部品取付けで運行可能なものは同部品を取付け、その間約三〇分間下関ジーゼルに留まり、結局計八台の車両を持ち出して右運転手らにより支部組合側の支配下にある東駅構内に回送格納して右車両を確保するに至つた。そしてこのとき、被告人藤田は下関ジーゼル構内広場中央付近で笛を吹いて車両の誘導に従事し、被告人田部は、右最後に持ち出した車両の運転に従事したものである。

(三)、ところで、右下関ジーゼルは自動車ジーゼルエンジンの整備等を営業目的とする会社で、同整備工場の敷地、建物、外郭等の様子は原判決が詳しく認定するとおりであり、当時約四七〇坪の敷地を有し、車の出入りの便のための中央空地を取り囲むように東側と南側に工場が各一棟、西側に事務所一棟、続いて工場長の居宅一棟が建ち並び、北側が正門で、門扉はないが正門両側の門柱から東、西に向い右敷地全周に亘つて板塀、コンクリート製塀、有刺鉄線を張つた木柵、工場建物の後壁等で囲続されていて、その構造および管理の状況等から原判決でも認めるとおり右下関ジーゼル構内が敷地、建物一体となり同会社代表取締役藤本定夫の看守する建造物に当るとみられることはいうまでもない。

二、しかして、原判決は右事実からして、被告人両名は青行隊員約六〇名、運転手数名らと意を同じくして、下関ジーゼルが山電から預り保管中のバス確保のため右日時ころ人の看守する下関ジーゼル構内にその看守者たる藤本定夫の意思に反して立ち入つたことは明らかであるとし、しかも、本件の場合は右車両確保行為は第三者の業務を妨害するもので違法であるとしながらも、なお大略次のような理由で、右建造物侵入罪は罪とならないものとしている。つまり、原判決の説示するところによると、まず、

(一)、下関ジーゼルの右車両の保管は会社側の車両分散の意図に呼応してなされたもので、いわば第三者の使用者側に対する争議加担行為であるといえるが、この場合、組合としても第三者に対する争議行為が違法で許されないものとされる以上、結局右加担行為を手を拱いて見守るよりほかないこととなり、それでは憲法が労働者に団体行動権等労働基本権を保障し、労使対等の原理によつて労働者の生存権を保障した趣旨に反し、結局、右のごとき第三者の争議加担行為は違法なものというべきである。

(二)、そうだとすると、争議組合としてはこれに対し自己の権利を守るため相当の防衛行為に出ることが容認され、そのため第三者が社会通念上相当と認められる限度で権利の侵害を受けてもやむをえないものと解することもでき、このような見地からすると、本件の場合、下関ジーゼルとしては少くとも真実修理のためかどうかの点検、立入りは認容すべきものと考えられる。

(三)、その他、山電バスの四〇〇〇キロ整備のときは運転手が同行するのが慣例であつたこと、支部組合員はバス確保行為が許された争議手段と信じていたこと、会社側は争議前から車両分散を行つていて下関ジーゼルに少くとも三台は明らかに整備に関係のない分散車両があつたこと、被告人らの確保したバスは八台であるが、整備を要する六台のうち、なお整備を要する二台は残され、二台はすでに整備終了、二台は整備ほぼ終了の状態であつたもので、下関ジーゼルに対しとりたてていう程の業務妨害を生じていないことなどのほか、本件事案全体の態様等、を総合して被告人らの行為は形式的には建造物侵入罪の構成要件に該当するけれども、いまだ刑罰をもつて臨まなければならない程の違法性はないものとして無罪としている。

三、そこで、右原判決の説示するところに従い各問題点について考えてみるに、まず、原判決がその確定する前記各事実からして被告人らの行為が形式的には建造物侵入罪の構成要件に該当するものとした判断は正当で、この点については記録および当裁判所が取調べた証拠に照らしても事実、法律点ともなんら誤りはない。しかしながら、原判決が右説示するような事情からして本件被告人らの行為がいまだ刑罰を以つて臨まなければならない程の違法性はないとした点は以下述べるような理由により建造物侵入罪に関する構成要件もしくは違法性阻却事由に関する法令の解釈、適用を誤つたものといわざるをえない。

(一)、なる程、下関ジーゼルの本件山電バス保管は、原判決挙示の各関係証拠によると、原判決も説示するとおり、会社側の本件争議開始前からの車両分散行為の同分散予定地の一つとして山電の下請工場下関ジーゼルも含まれていたこと、下関ジーゼルへの本件各車両の入庫および整備、修理の状況、当時の山電バス一〇台という数は日頃の台数に比し非常に多いこと、本来あるべき修理指示書が七通しかなく、しかもそのうち一通はその日付が本件争議よりはるか後の六月一二日となつていることなどからして、「山電においてはその頃整備期に来ていた車両を主体として下関ジーゼルに合わせ一〇台のバスを入庫させ、その間整備を要する車両(二万四、〇〇〇キロ整備四台、四、〇〇〇キロ整備一台、修理一台)については整備をなさしめようという一石二鳥をねらつた分散を行ない、整備完了後も分散の目的で預」けることとしていたものとみられ、会社側には右保管の委託に当り一部を除くと車両分散の意図もあつたことがうかがわれるとともに、また、このことは下関ジーゼル代表者藤本定夫も了知していたものと推知されなくもない。原判決はこれらのことから下関ジーゼルの右車両保管行為を第三者の争議加担行為であるとし、違法で許されないものとしている。

しかし、すでに前説示のとおり、原審証人安成稔(一二回)供述記載その他各関係証拠によると、会社が本件争議前から車両分散を目論み五月二五日ころから現に車両の分散をはじめたのは、前年の昭和三五年の争議の際会社側が組合側にほとんどのバスを確保されて運行を阻止されたというにがい経験に徴し、特に山電ではその第二組合たる山労が当時ストに参加せず就労を期待される状況にあつたことから、争議の際もそのバス運行をできるだけ果たそうとの目的からなされたもので、支部組合員の就労を拒否し、あるいはその争議権を不当に抑圧もしくは阻害する意図のもとになされたものでないことは明らかであり、また、会社側の右車両の分散先に第三者を含めたのも、右三五年争議の際の経験から、できるだけその占有保管の明確な場所を選んで組合側の車両確保戦術に対処しようとしたものであつて、いわば組合側の前説示のごとき違法な車両確保戦術に対する防衛的な措置であつたとみられ、本件争議の際も現に激しい車両確保戦術が予想される状況下で右のごとき意図でなされた車両分散行為は特に違法であるともいえず、このことは右分散が第三者に対しなされた場合でも格別区別すべき理由があるとも考えられない。原判決は右下関ジーゼルの車両保管は第三者の争議加担行為で、もしこれを許すと第三者に対する争議が許されない関係で組合側の争議権はあつてなきがごとくに帰するから違法だと説示する。しかし、第三者に限らず、会社所有地等に保管する場合でも、相手方の意に反してでも車両を自己らの占有する場所に確保しうるといつた内容の車両確保戦術なるものが許容されないことはすでに前説示のとおりであり、このような形での争議権の行使はなんら保護に値しないとみられる反面、第三者保管の場合でも、特に本件のごとき状況下では、相当な範囲内でのピケツテイングの行使として車両の点検、また説得のみのための立入りならこれを許容する余地がなくもないとみられることなどからして、右原判示の立論は肯認しがたく、したがつてまた右立論を前提に支部組合側は相当の防衛行為に出ることができるといつた論も、にわかに首肯しがたいところといわざるをえない。

(二)、原判決は、さらに右のほか山電バスの運転手は四、〇〇〇キロ整備の場合はバスに同行するのが慣例であつた旨、また、支部組合員はバス確保行為が許された争議手段と信じていた旨判示していて関係証拠によると右前者につきそのような事実が認められなくもないが(なお、右後者につき犯意を欠ぐものでないことは原判決も説示するとおり)、本件行為の手段、態様等に照らすとき、その行為の違法性の評価の面で左程重視できる事情ともみられず、また、下関ジーゼルに対する業務妨害の程度もことさらとりあげる程でないとする点も、その認定する事実に徴し必ずしもそうともみられない。

(三)、そこで、右諸関係を前提にさらに考えてみるに、原判決の認定するところによると、当時、共斗委中田隊長の指令の内容はストライキ防衛のための車両の平和的確保であるとされ、また下関ジーゼルへの入構も従業員の阻止に遭うこともなく平穏に行なわれたものとされている。たしかに記録中の右各関係証拠によると、右指令の内容は車両の平和的確保ということであり、また、支部組合員らの入構、さらに構内での車両確保、持ち出し等は騒々しい状態ではあつたものの、概して平穏であり、下関ジーゼル従業員らとの間に特にトラブルがあつたような事情もうかがえない。しかしながら、さらに右各関係証拠によると、前記のとおり、青行隊員約六〇名、運転手七、八名ら多数で下関ジーゼルに赴いたが、同構内に入構後、なるほど下関ジーゼルの従業員らから格別の抵抗(阻止行為)は受けなかつたものの、これは無理に拒めばもみ合う等のなんらかのトラブルが起るのではないかと危惧し、あるいは突嗟のことであつけにとられたためとも推知され、現に、二、三の従業員は口頭で車を持つて行つてもらつては困ると抗議している状況もあり、さらに、被告人らを含む右入構者らは、現に整備中のものでも運行可能なものはすべて持ち出す意図であつたとみられ、整備・修理中のバス二台も修理の事実を現認しながら従業員の制止にも耳を藉さず、その部品を取りつけさせるなどして運び去つたものであり、しかも他面、その間、右青行隊員らは下関ジーゼル側に対し車両持ち出しについての了解あるいは協力を得ようと積極的にその関係者らに折衝または説得しようとしたような事実もうかがえず、むしろ当初から右了解等は考慮外に車両確保を意図したものと認められる。

(四)、これら諸般の事情を合わせ勘案するとき、被告人両名の本件立ち入りは、すでに前述のごとく違法な車両確保を意図したものであるうえ、その立ち入りの態様、状況等に照らし、また前記本件争議時および争議に至る諸般の事情を十分考慮に入れるも、これが正当な争議行為の範囲内のものとは認められないのみか、いわゆる可罰的違法性がないともいえない。

そうだとすると、結局、原判決は右関係での法令の解釈適用を誤つたものといわざるをえず、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決中被告人両名に関する部分は破棄を免れない。したがつて論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決中被告人両名関係部分を破棄することとし、同法四〇〇条但書に則りさらに当裁判所において次のとおり判決する。

(本件争議に至る経過)

前記一、(一)記載のとおり

(罪となるべき事実)

被告人両名は、いずれも山電の従業員で支部組合所属の組合員であるが、昭和三六年五月二七日支部組合の労働争議に際し、当時株式会社下関ジーゼル整備工場が山電より預り保管中の同会社所有のバスを違法に持ち出しこれを支部組合側に確保する意図で、支部組合側青行隊員約六〇名、運転手数名らとともに同日午后一時半ころ下関市西大坪町六一二番地所在右下関ジーゼル工場に赴き、うち右青行隊員一〇数名および右運転手らと共謀のうえ、右目的でともに同工場内に立ち入り、もつて同工場代表取締役藤本定夫看守にかかる建造物に故なく侵入したものである。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人らは、被告人両名の本件所為がかりに建造物侵入罪に該当するとしても、本件は争議行為として正当な範囲内のものである旨主張する。

しかし、本件が争議行為として正当な範囲内のものでないことはすでに前記論旨に対する判断で説示したとおりであつて、弁護人らの右主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人両名の判示各所為は刑法六〇条、一三〇条、六条、一〇条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号、二条に各該当するところ、いずれも所定刑中罰金刑を選択し、その所定罰金額の範囲内で被告人両名をいずれも罰金二、五〇〇円に処し、刑法一八条を適用して被告人両名において右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置し、原審および当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用して主文二項記載のとおり被告人両名に負担させることとする。

第二、小月事件

(被告人吉本敏彦、同和田繁美、同角野十治の各威力業務妨害事件関係)

弁護人ら控訴。

弁護人らの本件控訴趣意の判断に先だち、まず職権をもつて調査し、次のとおり判断する。

原判決の記載によると、被告人和田繁美の関係につき、その第一で、高田謙吉運転のバスに対する、またその第二で、中川秋雄運転のバスに対する、各威力業務妨害罪の事実を認定して処断している。しかし、記録によると、同被告人に対する関係では、右第一の事実についてのみ公訴が提起されていて、右第二の事実については公訴の提起がなされていない事実が明らかで、結局、原判決は右第二の事実については、審判の請求を受けない事件につき判決をしたものと認めざるをえない。このことは、原判決がその法令適用において右第一、第二の各事実のうち会社の業務妨害の関係につき、これらを包括一罪としていることによりなんら左右されるものではない。そうだとすると、被告人和田の関係では、原判決の認定する事実のうちその審判の請求を受けていない右第二の事実のみならず、原判決がこれと包括一罪などの関係にあるとして一体として処断している右第一の事実をも含めすべてにつき破棄を免れないものといわざるをえない。

なお、以下弁護人らの論旨につき被告人和田の関係でも同関連する部分については合わせ判断を加えておくこととする。

弁護人らの論旨第一点(檜丸太持ち出し等に関する事実誤認の主張について)。

論旨は要するに、原判決はその小月事件(罪となるべき事実)第一、第二において、被告人ら三名(但し被告人和田については第二の関係を除く、以下同じ)は、ほか約二〇名くらいと共謀のうえ山電自動車運転者高田謙吉(右第一、山電バス山二あ五〇一号関係)、同中川秋雄(右第二、山電バス山二あ五〇号関係)の各バス進路前方に檜丸太を持ち出すなどして右高田らの運転等の業務を妨害したものである旨認めているが、しかし、右第一の高田運転者(五〇一号車)の関係では右檜丸太を持ち出した事実はなく、かりにその事実があつても右丸太持ち出しと右五〇一号車の停車およびその業務妨害との因果関係はなく、また、右第一、第二について、被告人ら三名とも右丸太棒持ち出しについての共謀の事実はなく、これらの点原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の各関係証拠によると、右檜丸太持ち出し等原判示事実を認めるに十分で、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

所論はまず、右第一の高田運転者(五〇一号車)の関係では檜丸太持ち出しの事実はなく、あつても右五〇一号車の停車等と関係がない旨主張する。しかしながら、記録中この点の各関係証拠を彼此比照勘考してみるに、まず原判決挙示の各関係証拠によると、本件現場は、下関市小月町一、二〇五の九小月消防仮機庫前附近の下関から小野田、宇部方面に通ずる国道二号線(幅員約一〇メートルのコンクリート舗装道路)上であるが、下関から小野田方面に向うには現場西方約五〇メートルの位置にある小月郵便局前三差路をゆるやかに右折して同現場に至る状況であつたところ、被告人ら三名を含む、支部組合員および同支援労組私鉄中国尾道鉄道支部、同長門鉄道支部各組合員ら約二〇名くらいの者が、いずれも右現場附近を通りかかる山電バスを停めてこれを自己らの手中に確保する意図のもとに、うち二名程度を右小月郵便局前三差路附近に見張り役に配置し、その余は右消防仮機庫前およびその道路を隔てた前方長鉄旧鉄道線路敷地跡附近等に散在して下関方面から来る山電バスを待ち受けていたものである事実がうかがえるところ、このような状況下で、さらに右檜丸太持ち出しの事実につき、これを肯認せしめる各関係証拠を個別に検討してみるに、まず(一)、原判決挙示の右五〇一号車運転者高田謙吉の原審各証言記載によると、同運転者は、山電バス山二あ五〇一号を運転して下関方面から右小月郵便局前を通つて小野田方面に向うべく現場附近に差しかかつた際、前方右消防仮機庫附近の道路左右どちらからともなく一〇人足らずの者が車両前面に出て来て、そのとき前方のそれらが立ちふさがつている附近に丸太棒が進路をふさぐような形で横たわつていた旨、数度に亘つて述べ、しかも、同丸太棒は大体本件証拠品(山口地方裁判所下関支部昭和三七年押第五六号の一)である檜丸太(長さ六・一五メートル、直径〇・一八メートル)のようなものであると思う、と述べていて、この点は、記録中の原審証人中野茂美の六回供述記載によると、右高田運転者は右直後ころ小月警察官派出所に赴いた際も警察官に右同旨のことを述べており、また、記録中の司法警察員三好等作成の昭和三六年六月二三日付検証調書によると、右車両状況等の現場説明に関連し、同バス車掌中村寿徳も右高田運転者の証言を肯定するような前提の現場指示をなしていることがうかがわれ、右高田の証言のうち右丸太棒が横たわつていたとする点につき、その前後の状況については幾分記憶違いではと思われる点がないでもないが、これを全体としてみた場合、右丸太棒のあつたこと自体が単なる記憶違いであつたとも思えないところであり、次に(二)、原判決挙示の被告人和田繁美の司法警察員(昭和三六年六月二四日付九枚分)および検察官(同月二五日付弁解録取書、同月二七日付)に対する各供述調書によると、同被告人は、司法警察員および検察官に対し終始、右最初の車(高田運転者の五〇一号車)の際、前記待機していた者らのうち誰かは明確でないが、六、七名あるいは数名の者が長い丸太棒を脇に抱えるような恰好で道路中央に飛び出して来て、自分もその丸太棒中央辺を小脇に抱え一緒に出た、そして、右車はその二メートルくらい手前に止まつた、旨述べ、しかも右検察官に対する供述調書では、その棒は、原審証人中野茂美の供述記載から前記本件証拠品たる檜丸太と同じものであると思える、派出所で見たのと同じものである旨述べ、なお右棒持ち出しの点は、記録中の被告人和田の司法警察員に対する昭和三六年六月二六日付供述調書でも右同旨の供述がなされているほか、また、司法警察員三好等作成の同月二四日付実況見分調書によると、同実況見分の際もこれに立会した被告人和田において右同旨の現場指示をなしていることがうかがわれるうえ、さらに右の点については、被告人和田の原審(八五回)供述記載によると、同被告人は原審公判でも、右五〇一号車の際丸太棒が道に出ていたこと自体はこれを認める旨の供述をしており、ただ、右原審公判での供述では、右丸太棒がどのようにして出されたかは不明で、自分がほかの者と道路中央に出たときにはすでに棒はあつて、自分は棒を抱えたことはなく、それをまたいで車の方に行つたにすぎない旨述べているものの、右棒の出されていたこと自体は終始一貫しており、しかも元来、同被告人は、その供述によつても明らかなとおり、最初に来た五〇一号車を停めて後、同車に乗り込み同車の運転席にあつて以後その運転を担当していたもので、その後に来た山電バス五〇号車の停車等には全く関与していないものであり、五〇号車の際の棒持ち出しと混同する虞の全くない状況にあつたものとみられるところであるから、右棒持ち出しが五〇一号車の際のものであることにつき、その供述の信用性を疑うべき理由はどこにもないところというべく、そしてさらに(三)、原判決挙示の当時右車両確保に加わつていた支部組合員嶋野勝己の検察官に対する昭和三六年六月一〇日付供述調書(謄本)では、同嶋野も検察官に、右五〇一号車が来た際「長鉄の敷地の所から四、五名の者が太くて長い丸太棒を抱きかかえる様にして道路の中央に出て」来た旨述べており、もつとも、この点はその後の検察官に対する同月一七日付供述調書(謄本)によると、これは突嗟のことではつきりは見届けていないかのごとく供述を変えているものの、この供述もその全趣旨を忖度すると必ずしも右当初の供述を否定する程のものともみられないうえ、同嶋野も、その各供述によると、被告人和田と同様五〇一号車を停車させて後同車に乗り込み、その後に来た山電バス五〇号車の停車等には直接関与していないとみられるところであるから右棒の持ち出しが五〇一号車の関係であることは疑うべくもないところであり、なお、同嶋野は原審証言記載によると、原審公判では、右当初の供述を否定しているが、その供述の経緯等に徴するとき、右当初の供述の信用性を左右するものともみられず、さらにまた、(四)、原判決挙示の被告人吉本敏彦の検察官に対する昭和三六年六月一八日付供述調書、司法警察員三好等作成の同月一八日付検証調書中右被告人の指示説明部分によると、同被告人は、本件バスの来る前、同被告人らが長鉄敷地跡附近に待機していた際、棒でも出して停めてやろう、という話があつた旨述べていて、右棒持ち出しの供述の信用性を間接的に裏付けているものともみられ、もつとも、被告人吉本は、その検察官に対する各供述調書によると、右棒持ち出しの点につき、最初の車に棒が出されたのは全然見ていない、警察で聞いてはじめて知つた。二台目の五〇号車のとき肥えた男が棒を持ち出した旨供述していることがうかがえるが、これらは、右被告人の司法警察員に対する各供述調書、原審供述記載、同被告人作成の上申書等に照らし勘考してみると、被告人吉本は、最初の車の際の棒持ち出しには気づいていないか、あるいはことさらこれを否定しているものとみられ、いずれにしても、これが前記最初の車の際の棒持ち出しに関する各供述の信用性まで左右するものとは考えられない。なおさらに、記録によると、たしかに右当初の丸太棒持ち出しにつき、右各関係証拠のほかは、この事実を否定するかのごとき供述が少くない。しかし、これらのうち、当時偶々通りがかつた自衛隊小月基地勤務の本城公崇の原審証言記載は、後続の五〇号車の際しか見ていない結果にすぎないものとみられ、その他の当時右バス確保に参画して現場にいた支部組合員あるいは支援労組員被告人角野十治、また山本馨、谷本典彦、村本勇、山本省三らの検察官に対する、もしくは原審での各供述あるいは証言記載も、五〇一号車の際は棒の出されたのを見ていないか、気がついていないという程度にすぎないものとみられ、前記各供述の信用性を左右するものとも考えられないところであり、むしろ、原判決挙示のその余の各関係証拠と比照して勘考してみた場合、後続の五〇号車の際は、同車がかなりの衝撃をもつて右丸太棒を乗りこえている事実があり、しかもその際、被告人角野、同吉本の両名は右棒にはねられるという事態の発生もあつたりして、右棒持ち出しを否定しようがない程明白な事柄であつたとみられるのに比し、当初の五〇一号車の際の分は比較的目立たない態様のものであつたとみられることから、各供述の経緯にも応じ、関係者らの右のごとき消極的供述になつたものではないかと推知されなくもないところであり、なおまた、原審および当審証人新田淳夫の各供述は、右五〇一号車の際の棒持ち出しの事実を積極的に否定するもののようであるが、同各供述は、その供述内容の不自然さ等からこれをにわかに措信しがたいところである。かようにみてくると、結局、五〇一号車の際の棒持ち出しの事実も、前記原判決挙示の各関係証拠によると、原判示認定のとおりこれを肯認しうるものというべく、他に右認定を左右するに足る証拠はなく、そしてまた、原判決挙示の証拠のうち、原審証人高田謙吉の各供述記載によると、右棒持ち出しが、同運転のバス停止の原因の一つをなしていることもこれを優に肯認しうるところで、所詮これらの点につき、原判決の認定するところには、なんら事実の誤認はないといえる。

次に所論は、被告人吉本敏彦ら三名は、右檜丸太持ち出しについては共謀はなかつた、と主張する。しかし、原判決挙示の各関係証拠によると、被告人ら三名を含む支部組合員、支援労組員ら約二〇名くらいの者が小月町一平旅館を出るなどして国道上の現場に向う際、その意図するところはなんとしても山電バスを自己らの支配下に確保したいということであり、たしかに、右一平旅館等であらかじめ右具体的方策としての細かい取り決めまでなして当初から右棒の持ち出しまで予想していたものとはみられないが、右確保しようとするバスの運転者は当時対立関係にあつた第二組合山労所属の者であるうえ、国道上を現に走行中のバスを停めるわけであつて、さほど尋常な方法では容易に右目的を達することはできないであろうことくらいは十分諒知していたものとみられるところであり、現に、当時右一平旅館から国道上に出て偶々出会つた藤田哲治運転の山電バスをまず停めようとした際、そのジグザク運転による疾走に遭い、容易に逃げられる羽目となり、また、その後の山電バスも他の関門急行のバスの直ぐ後について行くなどして、巧みに右停止をかわされることもあつたりし、さらには、右一行のうちの誰かが、山電の課長は一人や二人ひき殺しても逃げろ、といつているなどというものもあつたりしているわけで、被告人ら一行は、右山電バス確保も予想以上に困難なものであることを知り、かなり感情的ともなつた状態で、前記長鉄敷地跡およびその附近で待機していたものと認められるところ、そしてさらに、被告人吉本の検察官に対する昭和三六年六月一八日付供述調書によると、右長鉄敷地跡では右一行のうち幾人かの間で、同所に本件檜丸太があつたことから、それではこつちも棒でも出して停めてやろうかという話も出たとされており、この供述はその後の現実の行動等に照らし勘案してみると十分信用できるものとみられるところで、これらを合わせ考量するとき、結局、被告人ら三名を含む約二〇名の一行は、当時本件バス確保にあたり、その方途としては、当時の諸事情等からして単に道路中央部にまで出てバス進路前面を立ち塞ぐといつたことのみならず、それと実質的にはさほど大きな差異があるとも思えない棒持ち出し等も含め、かなりの程度のこともやむをえないとする気持に至つていたものと考えられ、被告人らとして、本件棒持ち出しについて、当時この事実をあらかじめ認識しかつ容認していたか、あるいは個々的にはそうでないとしても、ともにバス確保を果たすうえで、そのような事態の発生もやむをえないものとしてこれを容認する意図であつたと推知され、被告人吉本ら三名の本件檜丸太持ち出しについての共謀を肯認するに十分なものというべきであり、原判決にはこの点なんら事実の誤認はないといえる。

以上、右論旨はすべて理由がない。

弁護人らの論旨第二点(本件バス運行の業務性についての事実誤認、法令の解釈適用の誤りの主張について)。

論旨は要するに、原判決は、その小月事件罪となるべき事実第一、第二で、被告人らは威力を用いて会社のバス運行業務を妨害するとともに、右高田、中川両運転者の自動車運転業務を妨害した旨認めているが、右高田、中川らは第二組合というスキヤツプ集団の構成員であつて、その運転行為はいわばスト破りであり、しかも、右両名とも、その運転が会社の争議対抗手段としての車両の分散回送であることを承知しながら、進んでその職務外の運転にまで及んでいるものであり、これらからして、右両名の運転行為には、会社、個人のいずれにおいても、刑法二三四条所定の、威力業務妨害罪として法律で保護すべき程の業務性はないものというべく、これらの点原判決には事実の誤認および右法令の解釈、適用の誤りがある、というのである。

そこで、記録により検討してみるに、右業務性一般についてはすでに前記総論部分で説示するとおりであるが、以下具体的な関連でさらに説明を加えておく。原判決挙示の各関係証拠によると、本件高田、中川の各バス運転行為がいわば会社側の車両分散のための同分散地への回送運転であることは容易に認めうるところであるが、しかしこれは同時に会社の操業を意図したものにほかならないことも明らかなところで、会社にとつてその車両分散自体に意味があるわけではなく、前年三五年争議の際支部組合側に大量の車両を確保され、今次争議でも同様な事態の発生が強く予想されるところから、これへの対抗策として防衛上やむなく右分散に至つたものとみられ、会社として、できれば争議中、少くとも争議終了後すみやかに右本来の運行を開始したいという意図のもとに、これに即応した態勢にその所有するバスを分散管理しておこうとすることに出たものとみられ、このような意図、状況のもとでの分散地への回送運転は、会社にとつても争議中操業の自由は一般に否定されないものと解される以上、争議中におけるその特殊な態様のものとして、また操業のための必要的前提として、会社の業務のうちに含まれるものと解すべきである。そしてさらに、原判決挙示の原審証人高田謙吉、同中川秋雄の各供述記載等各関係証拠によると、本件車両の運転者高田、中川の両名は第二組合たる山労所属の山電従業員ではあるが、当時山労は争議に加わつておらず、むしろ就労の意思を明らかにしており、もとより支部組合の統制に服する関係にもないものであるうえ、当時は、高田運転者は、小月営業課所属のバス運転者として、また、中川運転者も、小月営業課所属の操車係ではあつたが、特に長府町で事故を起こした本件車両をとりに行く関係でその職務に関連して、いずれも、高田はあらかじめ、中川は当日、山電本社の意を受けた小林小月営業課長の指示に従い、すでに争議突入後、それぞれ所定の分散地に回送運転の途中本件に至つたものであることがうかがわれる。たしかに、右運転行為は一面、支部組合側の立場からすると、実質的には所論のごときスト破りの性格を有し、支部組合側の争議行為に対する会社側の一種の対抗行為であるという性格は否めないところとはいえようが、しかし、右車両分散行為も前記事情のもとではこれを違法視するわけにはいかないところで、右車両分散のための運転行為が、会社側の争議対抗行為などとして刑法二三四条所定の「業務」としての保護に値しないものともいえず、右運転行為に右業務性を否定すべき理由はないものと解される。

以上説示したとおり、本件高田および中川の運転行為につき、会社および同運転者個人としての業務性を十分肯認しうるものというべく、この点、原判決には右事実判断および刑法二三四条所定の業務性の法律判断につき、所論のごとき誤りはないといえる。

もつとも、右に関連し、原判決はその法令の適用等によると、本件は山電会社のバス運行業務とともに、その運転者高田、中川の各自動車運転業務をも妨害したものである旨認め、この会社と右各運転者らに対する各業務妨害の関係を観念的競合の関係にあるものとしている。しかし、本件の右高田、中川の各運転行為は、全く会社の従業員としての地位に基づきその職務上運転したもので、会社のバス運行行為に包摂される関係にあるものというべく、結局、右は全体として会社の運行業務一個の威力業務妨害罪を構成するにすぎないものと解すべきである。ただこの点の判断の誤り(公訴事実も必ずしも二個の罪が成立するものとして起訴したものともみられない)は判決に影響を及ぼすことが明らかなものともいえない。

以上、この点の論旨も理由がない。

弁護人らの論旨第三点(本件バス運転阻止行為の正当性についての、理由くいちがい、事実誤認、法令適用の誤りの主張について)。

論旨は要するに、原判決は、本件バス運行阻止行為につき、これらが国道二号線上で行なわれたということから、あたかも当然に他の通行車両の運行を阻害し通行の安全性を損う虞がきわめて大きい危険な行為であるとして、結局争議行為としての正当性を否定している。しかし、まず(一)、原判決は、右につき、右バス運行阻止行為が通行の安全性につき現実にどのような事態を生ぜしめたかにつき、その行為の態様、状況等から具体的に認定することなく、単に国道二号線上であるということから抽象的観念的に右危険を肯認して争議行為としての正当性を否定しているものとみられる反面、原判決はその第三章では、争議行為は相手方のとる手段、方法等によつて流動的であり、現実になされた争議行為の正当性の評価はこのような実践の場において究明されるべきもので、概念的に定めうるものではない、としている点、矛盾し、この点原判決には理由のくいちがいがあるというべく、また次に、(二)、現に本件バス運行阻止行為は、危険の少ない場所を選んでするなど十分配意してなされたもので、他の車両の通行を阻害し、交通の危険を招来するような事実は全くないわけで、この点原判決には右事実の誤認があり、かつさらに、(三)、これら諸般の事実関係を前提に判断すると当時の状況として本件バス運行阻止行為はやむをえないもので、争議行為として正当な範囲内に属するものというべく、この点原判決には右正当性に関し、法令の解釈、適用の誤りがある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録により検討してみるに、まず、所論の理由のくいちがいの点であるが、原判決の記載によると、たしかに、原判決はその弁護人の主張に対する判断の項で、本件がまず国道二号線上の行為によるものとしたうえ、「公道上を通行するバスの運行阻止は」あたかもそのことだけで「直ちに他の通行車両の運行を阻害し、通行の安全性を損う虞の極めて大きい危険な行為」であつて、さらにその余の具体的状況判断をまつまでもなく、当然に争議行為としての正当性の範囲を逸脱しているものというのほかないと判断しているかのようにみられ、このことは、原判決がその第三章で車両分散、同確保等について一般的に判断しているところのうち、争議行為の正当性は概念的に定むべきではなく、具体的状況の中で判断されるべきものであるとしている趣旨と、その判示するところがそごするかのごとくみられる。しかしこの点は、原判決の説示するところを判読すると、原判決は、本件につき、右争議行為の正当性の判断について必ずしも行為時の具体的諸般の状況の下でなさるべきであるとする右一般的立論と異なる前提のうえに立つて右判示に至つているものともみられず、右本件説示は右同旨の前提のうえに立つたものではあるが、ただその判断の際の具体的状況としては、単に本件が公道上のことであるという点だけで、直ちに交通の危険、公共の危険という判断に結びつけている点で、事実判断に飛躍があるとみられるだけのことであるとも解され、この点、右判断の当否は別として、右理由にくいちがいがあるともいえない。

次に、本件バス運行阻止行為の正当性の判断についての事実および法律判断の当否の点であるが、原判決挙示の各関係証拠によると、原判決がその各論小月事件の項で、事件の概要および罪となるべき事実として認めるところは、ほぼ首肯しうるところであるが、同事実およびこれに関連しさらに原判決挙示の各関係証拠により明らかとなる事実によると、

被告人吉本、角野、和田の三名は、他の支部組合員および争議支援の私鉄中国尾道鉄道支部、同長門鉄道支部組合員ら約二〇名とともに、通りかかる山電バスを停止させこれを自己らの支配下に確保しようとする意図で現場附近に至り、附近長門鉄道敷地跡、同所前小月消防仮機庫前などで同所小月町を通る国道二号線を両側からはさむような形で、またその下関寄り約五〇メートルの位置にある小月郵便局前三差路には二名程度の見張り役を置くという態勢で、それぞれ山電バスの到来を待ち受けていたところ、本件同日午后一時五〇分ころ、原判示第一の高田運転の山電バス(五〇一号車)一台が下関方面から右三差路を通り小野田方面に向い時速約三〇キロメートルで進行して来るのを認めるや、バスが来たとの声に呼応し、右待機していたもののうち被告人吉本ら三名を含む約一〇名くらいのものが、一斉に道路中央に走り出して手を拡げ、また挙げるなどして、止まれ止まれ、といいながら右バスの進路前方に立ち塞がり、その際右待機していた者のうちいずれか数名においては長門鉄道敷地跡にあつた檜丸太(長さ約六・一五メートル、直径約〇・一八メートル)を持ち出して進路前方に横たえるなどして、右バスの停止を余儀なくさせたうえ、多数右バス乗降口扉のところに押し寄せ、内側から中村車掌が押さえているのを外から扉を叩きながら開けろ開けろと叫び、被告人和田において右バス前部空気蓋のところで高田運転者に数回降りて来いと申し向け、その間支部組合員嶋野勝己において同バス左最前部の窓から車内に乗り込み内側から右扉を開け、附近にいた一〇名くらいのものがどつと車内に乗り込んで高田運転者を取り囲み、同高田に数名交々「車体検査証を出せ」と申し向け、また、被告人和田において運転席にある右高田の左手をかかえるようにして数回のけのけと申し向けて同高田を運転席から立退かせ、自らが同運転席に坐るなどして、結局同高田をしてその意に反し運転を断念せざるをえなくさせ、そうこうしているうち、原判示第二の中川運転の山電バス(五〇号車)が下関方面から右同様小野田方面に向い時速約三〇キロメートルで進行して来たが、バスが来た、の声で右五〇一号車に乗り込んでいた者のうち被告人和田ら三、四名を残し、その余は、右長門鉄道敷地附近等にいた者らと呼応して、被告人角野、同吉本ら数名において右バス進路前方に走り出て立ち塞がり、また同時に外数名の者が右檜丸太を進路前方に持ち出して横たえ、同バスも急に停止できないまま右丸太を乗り越えて進行したところその際右被告人角野、同吉本が右丸太にはねられたことから、支部組合員谷本典彦において、人をはねている止まれ、と大声で叫ぶなどして、車を止め、支部組合員山本馨は同バス右運転席窓から入ろうとして右足を突つ込み、いれまいとする中川運転者と争い、一方同バス前方左側窓から一名入つて乗降口扉を開け、附近にいた五、六名の支部組合側労組員が直ちに乗り込み、右中川運転手を取り囲むようにして交々車体検査証を出せと迫り、同中川に支部組合側と運転を替るよう求めて運転席からの立退きを余儀なくさせ、結局同中川をしてその意に反しバス運転を断念せざるをえなくさせたものであり、その後、右二台のバスは、一台目の五〇一号車は被告人和田繁美運転で、また二台目の五〇号車は支部組合員山本馨運転で、いずれも現場から約五〇〇メートル離れた競馬場入口で方向転換して後、支部組合員を乗せるなどして下関市東駅構内の支部組合側の支配する場所に回送してその各バス確保の目的を達し、また、右二台のバス運転者らは、右一台目の運転者高田は右方向転換して現場に引き返し停車した際同バスの窓から飛び出して逃げ、同車掌中村も同じころ隙をみて乗降口から逃げ、右二台目の運転者中川、同車掌千羽は右東駅回送途中小月営業課附近で降車に至つているものである。

これら事実関係からして本件行為の正当性につき勘考してみるに被告人ら三名を含む支部組合員、同支援労組員約二〇名の本件共謀者らが本件で意図するところは、山電バスを支部組合側に確保しようとすることであるが、その方途は、同被告人らの現実の行動および右バス運転者高田、中川の原審各証言記載等に徴するとき、およそバス運転者らに対する説得などとは程遠い内容のものであつたと推知され、現にその行為の態様、状況も、本件現場は、原判決挙示の司法警察員三好等作成の検証調書等により明らかなとおり、繁華な商店街とはいえないまでも店舗等が散在し、交通も必ずしも閑散ともいえない小月町内の国道二号線上であり、同所を時速三〇キロメートルくらいの速度で進行するバス前面に多数が走り出て立ち塞がり、棒を持ち出して前面に横たえるなどして同バスを停車のほかなきに至らせ、停車するや前記のとおりバス内に乗り込んで運転者を運転席から立ち退かせ、支部組合側の運転者が替わり東駅に回送して確保したというものであつて、右は、バス運転者らに対し、口頭その他でその翻意または協調を求めるといつた類のものではなく、ほとんど有無を言わせず車を停止させてこれを自己らの手中に確保するといつたものであり、このような意図、態様、また状況での被告人らの本件行為は、これら車両確保戦術自体の違法性についてはすでに前説示のとおりであるが、被告人らが右のごとき実力行使に出でざるをえなかつた多くの経緯、走行中のバス運転者らに対する説得の困難性、また、本件バスは第二組合たる山労所属の運転者車掌のみ乗車していて乗客は一人もなく、所定の分散地に回送途中のものであつたことなど諸般の事情を十分考慮に入れるも、なお法秩序全体の精神に照らし最早争議行為としての正当性の範囲をこえ許容できないものといわざるをえない。この点右同旨に出た原判決の判断にはなんら所論のごとき事実誤認、また法令適用の誤りもない。したがつてこの点の論旨も理由がない。

なお、本件については被告人吉本、同角野、同和田の三名につきその原判決の量刑の当否につき職権をもつて調査し次のとおり判断する。

記録および当審において取調べた結果によると、本件は前記のとおり支部組合の山電争議に際し、被告人吉本ら三名を含む支部組合員、同支援労組員ら約二〇名くらいの者が共謀のうえ、小月町内の国道二号線上で山電バス二台(被告人和田は一台、以下同じ)を止め、これを支部組合側に確保して右バスの運行業務等を妨害したというものであるが、その妨害の態様が、前記のとおり争議行為としての正当性の範囲をこえたものであることは明らかなものであるとはいえ、もともと被告人らが本件に至つた経緯においては、支部組合が組合分裂以来会社側の不当労働行為をも強く疑わせる種々の攻勢に追いつめられて、組合の組織、団結の防衛上ある程度やむなく本件に及んだものともみられる一面もあり、さらに、本件のごとき走行中のバス運行阻止、同確保といつたことは、現実の場における行為の態様としては必ずしも一様ではないことが予想されるところ、右許容される具体的方途につきその組織としても十分明確な指導がなされていたとも思えないこと、その他、特に当裁判所に顕著な事実である本件と同じ山電争議に関連した同種事犯についての山口地方裁判所での判決(被告人側控訴で当審係属中当庁昭和四三年(う)第二一〇号)では右同関係の被告人らがほぼすべて罰金刑で処断されていることとの量刑上の均衡等をも考慮に加えるとき、これら諸般の事情からして、原判決の量刑も、結局、被告人ら三名につき、特に懲役刑によるものとしている点で重きにすぎ不当であると認めざるをえない。そうすると、原判決のうち被告人吉本、同角野、同和田ら三名の関係では、この点で(被告人和田についてはこの点でも)破棄を免れないものといわざるをえない。

以上、右次第で、被告人和田繁美については刑事訴訟法三七八条三号後段三八一条三九七条一項により、また、被告人吉本敏彦、同角野十治については同法三八一条三九七条一項により原判決中同被告人ら関係部分を破棄し、同法四〇〇条但書に則りさらに当裁判所において次のとおり判決する。

まず、被告人和田繁美の関係につき。

(本件争議に至る経過)

下関ジーゼル事件で判示するところと同じ。

(罪となるべき事実)

被告人和田繁美は、私鉄中国尾道鉄道支部組合員であるが、支部組合員および同支援の私鉄中国尾道鉄道支部ならびに同長門鉄道支部組合員ら約二〇名と共謀のうえ、支部組合の昭和三六年の労働争議に際し山労所属の山電自動車運転者が運転中の山電所有のバスを停車させて確保しようと企て、同年五月二七日午後二時ころ下関市小月町一、二〇五の九附近小月消防仮機庫地先の国道上において、被告人和田、長門鉄道支部組合員角野外数名の者が山電自動車運転者高田謙吉が会社の指示によつて下関方面から小野田方面に向け運転進行中の山電バス山二あ五〇一号車の進路前方に立塞がり、同時に共謀者数名の者が長門鉄道旧鉄道敷地跡空地にあつた長さ約六・一五メートル直径約〇・一八メートルの檜丸太を抱え出して右進路前方に横たえてこれを停車せしめ、数名右バスの乗降口扉を叩いて開けるよう促し、被告人和田が右バス前部空気蓋のところから高田に向い降りて来いと叫んでいる間に、支部組合員嶋野が右バス前方左側窓から車内に乗り込み、乗降口扉を開け、右扉附近にいた数名の者が一斉に車内に乗り込み、高田に向い、交々「車体検査証を出せ」とせまり、被告人和田において右同人の腕に手をかけ運転席を立つよう促すなどし、同人をその意に反して運転席から立退かせ、そのバス運転を不可能ならしめてこれを確保し、もつて威力を用いて会社のバス運行業務および右高田の自動車運転業務を妨害したものである。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人らの主張に対する判断)

被告人和田の本件行為は争議行為として正当な範囲内に属し、違法性がないとする弁護人らの主張については、前記論旨第三点で詳述したとおりで、これは右正当性の範囲をこえ違法なものというべきであるから、この点の主張は採用できない。

次に、被告人吉本敏彦、同角野十治、同和田繁美ら三名の関係につき。

(法令の適用)

被告人和田については右判示事実に、また、被告人吉本、同角野については同被告人らの関係について原判決の確定した事実(被告人和田の同第二の関係を除く)に法令を適用すると、被告人らの各所為はいずれも刑法六〇条二三四条二三三条六条一〇条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号二条に各該当するところ、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、被告人吉本、同角野については、それぞれ、以上(原判示第一、第二の罪)は、刑法四五条前段の併合罪であるから同法四八条二項により右各罰金額を合算し、その各所定罰金額の範囲内で、前記情状により被告人吉本、同角野を各罰金二万五、〇〇〇円に、被告人和田を罰金二万円に各処することとし、刑法一八条を適用して、被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、原審および当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文一八二条を適用して主文二項掲記のとおり各負担させることとする。

第三、第三ゲート事件

(被告人塩田道吉の傷害、暴行事件関係)

弁護人ら控訴。

弁護人らの論旨第一点(事実誤認の主張)。

所論は要するに、原判決はその第一において、被告人は、支部組合側労組員一〇数名と協同して強いて右田一郎の乗る乗用車の扉を開け、開けられまいと抵抗する右田の腕をつかんで引張り、靴履きのまま同人の右膝関節附近を交々一〇回ぐらい蹴りつけ、よつて同人に対し全治約一〇日間を要する右膝関節打撲挫創の傷害を与え、またその第二において、被告人は、土間に負傷し倒れて寝かされている松尾勇に対し靴履のまま同人の足を一回踏付けて暴行を加えた旨認定しているが、まず、(一)、右田に対する傷害の関係では、被告人は、自身右暴行を加えた事実はないのみか、原判決のいう外一〇数名の支部組合側労組員との間に右暴行につき意思疎通もなかつたものであり、また、(二)、右松尾に対する暴行についても、その事実はなく、これにそう右田、藤田の原審両証言は信用できないもので、むしろ中野の原審証言に信憑性があり、結局、原判決は右の点事実を誤認したものというべきである、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の各関係証拠によると、本件原判示第一、第二の各事実(後記説示する若干の点を除き)を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない(もつとも、右原判示第一の事実につき、原判決は、被告人が外一〇数名と「協同」して原判示暴行をなした旨判示しているが、これはその法令適用とも合わせ勘考すると、被告人の右共同正犯としての罪責を示すものと解される)。

所論は、被告人は原判示のごとき暴行をなした事実はないのみか、原判示第一につき、他の支部組合側労組員らと右意思疎通をなした事実もない、と主張する。しかし、

一、まず原判示第一につき、なるほど右記録および当審取調の結果によると、同事実のうち被告人の具体的暴行を直接肯認せしめる証拠は被害者右田一郎の原審証言のみであり、かつ、同証言には、所論指摘のごとき右暴行を肯認するにつき一見不自然、不合理を思わせるような節がないともいえない。しかし、原判決挙示の各関係証拠を総合すると、昭和三六年五月二九日午后五時すぎころ、会社側移動隊員ら約二〇〇名を乗せる山電バス六台およびこれに後続する山電自動車部教養課指導係右田一郎らの乗る会社側指導班(二台)、同写真班(一台)計三台の乗用車が東駅山電本社に向い、同本社附近に至り、同所でピケを張る多数の支部組合員および同支援労組員らに対し会社従業員の就労妨害排除等を求めて右移動隊員らのうち七、八〇人がバスを降りて右本社横のいわゆる第三ゲート(山電構内南側通用門)前附近に赴いた際、うち数名が、右第三ゲート鉄門扉内で抵抗する支部組合側の者に投石、また竹、木の棒で右門扉金網ごしに突く、たたくなどの乱暴をし、右本社正門附近で逃げまどう二、三人を追いかけ、うち一名にふんだりけつたりの暴行を加えて負傷者まで生ぜしめたことなどから、これに激昂した支部組合側の者は、これらに強く抗議また防戦すべく、右山電構内にいた支部組合青行隊また支援労組員ら約一〇〇名の者が、急きよ、スクラム、隊列を組むなどして右会社側に立ち向い、すでに右バス分乗の移動隊員らはほぼ引き揚げようとした後にエンストなどで逃げ遅れていた右後続の会社側乗用車三台のうち被害者右田一郎の同乗する山本運転の乗用車(運転席後部に右田、助手席に会社側写真班服部明、同後部に同じく写真班田部恒和)および小久保運転の乗用車(会社側指導班岡田慶一、同柴田米男ら同乗)二台に対しその附近にこれを取り巻くように群がり、そしてこのような状況下で、右群がつた支部組合側の者のうち一〇数名は、右乗用車のうち山本運転の車の附近に至つて現にこれを取り囲み、たがいに協調し合う形で、右車を前後左右にゆさぶり、また、右車内にとじこもる右田一郎らに対し同人らを車外に引き出そうとしてドアを開け開けさせまいと相争うなどしたすえ、同車右田横のドア附近の数名が、そのドアを強いて開け、右田に対し原判示暴行を加えたのみか、その間、右乗用車に同乗するその余の山本、服部、田部らに対しても、各ドア附近の数名が、ドアを開け、手足を引つぱり、たたく、けるなどの暴行を加えている事実を認めることができるうえ、さらに、右の間、被告人自身についても、右会社側一部の者の不当な暴力行使のほか、右右田らに対する暴行の直前ころ被告人自身支部組合側写真班として車内の右田一郎の写真を撮ろうとした際右親指の爪はく離の傷害を受けたこと(その受傷の原因については原判示のごとく明確に断定することはできない)もあつて、かなり興奮した状態となり、右受傷に対する抗議の意味も含め、右右田の同乗する乗用車を取り囲む一〇数名のうちの一人として、右田の乗車する座席横ドア附近にあつて他の数名と右ドアを強いて開けようとする行為に関与している事実をたやすく認めることができる。このような事実および推移を背景に、さらに原判決挙示の各関係証拠を彼此対比しながら、原審証人右田一郎の供述記載につき検討してみるに、たしかに、同証人の会社および本件争議における立場、当時の状況その証言内容等からするとその述べるところをすべてそのまま措信しがたい点もないとはいえないが、同証人は被告人塩田をかねてから十分顔見知りで、同証人が被告人から暴行を受けたとする際の状況も、覆面等をしているわけでもない被告人をごく近くで相対面して確認しているわけであつて、原審における相当の反対尋問にもなお被告人からの暴行の事実を明確に答えているところであり、同証人が敢て偽証をなしたともみられないことなどからして、同証人の、右取り囲まれた際、被告人から、外に引き出そうとして右腕を引つぱられ、足の右膝関節あたりを靴ばきで二回位けられた、とする供述は、十分その信用性を肯認できるものというべく、原審証人服部明の供述中、右田と同乗していて、取り囲む一〇数名から乱暴を受けている間、その後方で「塩田何をするか」という声を聞いた、という点も、右右田証言の信用性を裏付ける一つともいえようし、他面、原審証人西村政治、同中川ヤスエ、同西島照雄の各供述記載中右右田証言に反するかのごとき供述は、同供述の内容等からして他の各関係証拠に照らすとき右田証言の信用性を左右するものともみられない。

かようにみてくると、これら事実等からしてさらに原判決挙示の各関係証拠を総合勘案すると、被告人が、本件当時、自身前記のごとき原判示暴行の一部を行つていることが明らかであるのみならず、同暴行は決して個々散発的なものではなく、被告人につき、少くとも右田一郎に対する暴行に関する限り、右田らを取り囲む支部組合側労組員一〇数名の者のうち、右田横ドア附近でもみ合い、けるなどした外数名の者と、互に意を通じ、ともに協同して、原判示暴行を敢行したものと認めるに十分であつて、結局、右諸点につき原判決にはなんら所論のごとき事実誤認はないものといえる(もつとも、原判決は、前記被告人の親指受傷の原因および右共犯者の数につき、右各説示したところと異なる認定をしているが、この点の誤りは判決に影響を及ぼさないものといえる)。

二、次に、原判示第二につき、この点は原判決も詳細説示するとおりで、同暴行事実を直接目撃したとする原審証人右田一郎、同藤田美佐子の各供述記載は、本件暴行の事実に関し、右田証人の会社および本件争議における立場、藤田証人の山電松田常務との関係(同義妹)、右両証人の証言の時期等の諸事情を種々考慮に入れても、なお十分信用できるものというべく、右両名が右事実につきなんらかの意図でことさら偽りを述べたとは考えられないところである。右両証人が本件暴行につき述べるところは、その暴行の態様につき、右田証人は、足の関節あたりを一回力一杯けつた、と、また、藤田証人は、寝ている人の足を踏むような蹴るような恰好をして出て行つた、一回すねあたりに当つた、力が入つていた、ぐつと踏んでおいてぱつとはずされた、などと述べ、たしかに、右内容には、蹴る、と、踏む、また、足の関節あたり、と、すねあたり、といつた点などで異なる点のあることは否めないが、しかし、これらも右述べるところを仔細に検討してみると、結局、その言つている趣旨は、同じ行為を、見るものの位置、角度、また、その表現の仕方の差異等により、あるいは突嗟のことでごく若干の記憶違いも含め、異なつた証言内容として表示されるに至つたものとみられ、これらはむしろ右両証言の信用性を裏付けるものともみられ、いずれにしても右両証言の骨子は十分信用できるところで、これらによると原判示のごとき暴行事実の認定も首肯できるものといえる。右右田証人につき、同人作成名義の本件翌三〇日付の山電会社仮処分命令申請書添付報告書には、右被害者松尾勇が負傷して塗師寅商店にかつぎ込まれた一件が記載されているのに、被告人の本件暴行の事実に触れるところが全くないことが記録上うかがわれるが、これも、右報告書記載の全内容および同報告書作成の意図等に照らすとき、右田証言の信用性を左右するものともいえない。さらにまた、所論の原審証人中野弘章の供述記載中原判示認定に反する部分も、他の各関係証拠に照らすとにわかに措信しがたく、原判示認定を左右するものではない。結局、右の点でも原判決にはなんら所論のごとき事実誤認はないものといえる。右論旨はすべて理由がない。

論旨第二点(法令適用の誤りの主張)。

所論は要するに、かりに被告人が原判示のとおり右田に傷害を与え、松尾に暴行を加えた事実があつたとしても、それは、会社側移動隊の支部組合の正当な争議行為に対する不法な襲撃に端を発したもので、右襲撃により多数の負傷者が出たことなどに対する抗議行動の中で派生したものであり、右正当な争議行為のいわば正当防衛行為であつて、その他右被害者右田は右襲撃に指導的役割を果したものであり、同松尾も直接右襲撃行為に出でた者であることなど諸事情を考量するとき、原判示認定程度の傷害、暴行に可罰的違法性ありとするのは不当で、この点、原判決が被告人につき傷害罪、暴行罪の刑罰法規を適用しているのは、右法令の適用を誤つたものといえる、というのである。

そこで、記録により検討してみるに、すでに前説示のとおり、各関係証拠によると、被告人の本件暴行少し前ころ、山電本社横第三ゲートおよび同附近で、支部組合側と、同所に赴いた会社側移動隊員らとの口論もみ合いを生じた間、そのうちの一部に投石等の不当な挙動のあつたことは事実で、これが支部組合側の強い反撥をかつて本件暴行等の主要な端緒になつていることはうかがえるが、しかし、本件被害者右田、同松尾の両名が、右会社側一部の者の暴走した行為に加担あるいは関与したとみられる事実は証拠上全く肯認しがたいのみならず、原判決挙示の各関係証拠によると、本件暴行は、いずれもすでに右第三ゲート附近におけるもみ合いも一応終り移動隊員らバス六台も一旦引き揚げようとした後のことで、右田については、わずか数名で一〇〇名位の支部組合側労組員に包囲されほとんど抵抗できない状態で、また、松尾も、その後、逃げようとした際支部組合側の者につかまり大勢で殴る蹴るの暴行を受けて気を失い、塗師寅商店の土間にかかえこまれて寝かされ、全く無抵抗の状態にあるのに対し、いずれも前記抗議という域をはるかにこえる態様でなされたものであつて、むしろ報復的行為ともみられ、右暴行に至つたその余の経緯、事情、また意図、暴行の程度など所論指摘の諸点を十分考慮に入れても、とうてい可罰的違法性がないなどとはいえないところである。したがつて、右の点、原判決にはなんら所論のごとき法令適用の誤りはない。

右論旨も理由がない。

なお、職権をもつて調査するに、原判決の記載によると、原判決はその法令の適用において原判示第一(傷害)と同第二(暴行)の併合罪加重をするにあたり、刑法四七条但書の適用を遺脱している違法がうかがわれるところ、右違法は処断刑に差異を生ぜしめ判決に影響を及ぼすこと明らかであるといわざるをえないから、結局、原判決はこの点で破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項三八〇条により原判決中被告人塩田道吉に関する部分を破棄することとし、同法四〇〇条但書に則りさらに当裁判所において次のとおり判決する。

被告人塩田道吉関係につき原判決の確定した事実に法令を適用すると、右原判示第一の所為は刑法六〇条二〇四条六条、一〇条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号二条に、同第二の所為は刑法二〇八条六条、一〇条、右罰金等臨時措置法三条一項一号二条に各該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文一〇条により重い原判示第一の罪の刑に同法四七条但書の範囲内で法定の加重をなし、その刑期範囲内で被告人を懲役三月に処することとし、なお情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日より二年間右刑の執行を猶予することとし、原審および当審における訴訟費用につき刑事訴訟法一八一条一項本文に則り主文二項掲記のとおり被告人に負担させることとする。

第四、第一新地事件

(被告人住田孝男の強盗傷人―予備的訴因、威力業務妨害、傷害―事件関係)

弁護人ら控訴。

論旨に対する判断に先だち、まず職権をもつて調査するに、記録によると、後述するとおり、原判示事実はその一部を除き、原判決挙示の各関係証拠のほか記録中の関係証拠によりこれを十分肯認することができるものといえるところであるが、右事実を認定するにつき必要な原審証人中野進の二六回公判供述記載を原判決はその挙示すべき証拠の標目から遺脱している事実が明らかであるから、これは結局、原判決に理由不備の違法があるといわざるをえず、原判決はこの点でまず破棄を免れない。

弁護人の控訴趣意に対する判断。

論旨第一点。

事実誤認―原判決の認定する暴行等の事実の存否につき。

所論は要するに、原判決は、被告人を含む支部組合側の者が本件山電バス(山二あ一五三号)の窓ガラスを破壊し、同車内でも、同窓ガラス等から乗り込んだ青行隊古田隊長ら右支部組合側の者が、右バス内の移動隊員大西猪三雄に対しその「右肩を平手で一回突き更に棍棒様のものでその後頭部を一回殴打して後方に押しやり」、また、同下野忠夫に対しその「首に後方から手をかけて後方に引き寄せ、手拳で一回後頭部を殴打し」、さらに、同高木近雄に対しその「腰部を一回蹴りつけ」、同中野進に対しその「腰部を二、三回蹴る」などの暴行を加えた旨認定しているが、古田隊長ら右支部組合側の者には右のような暴行等の事実はなく、右は原判決の事実の誤認である、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の各関係証拠のほか、右中野進の原審証言記載によると、後記判決に影響を及ぼさない程度の事実誤認を除き原判示事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。つまり、右各関係証拠を合わせ勘案すると、支部組合員被告人住田孝男を含む支部組合青行隊員および支援労組日炭高松青行隊員ら約一〇〇名くらいの者が、昭和三六年五月三〇日午前零時三〇分ころ下関市新地町新地警察官派出所附近路上に駐車中の山電バス山二あ一五三号の歩道、車道側にこれを取り囲むように並び、同バス内に同バス保全看守のため乗り込んでいる山電従業員下野忠夫外一三名の移動隊員に対し、右バスの引渡しを求めたがとうていこれに応じそうにない状況であることから、右支部組合青行隊員ら約一〇〇名くらいの者は、暴行等の威力を用いてでも強いて右バスを確保すべく、たがいに意を通じ、まず三名くらいでスクラムを組んで乗降口扉に体当りし、次いで道路標識様の棒で乗降口側最前部の窓ガラスを突き破り、これをきつかけに棍棒様のもので他の運転席側窓ガラスを次々とたたきこわし、次いで、右青行隊古田隊長ら五、六名の支部組合側の者が右乗降口側最前部の窓から次々と入つて、同窓近くの車内通路にいた右移動隊員大西猪三雄の背後からその右肩を平手で一回突き、棍棒様のものでその後頭部を一回殴打して後方に押しやり、さらに、右乗降口ドア附近でドアを押さえていた右移動隊員下野忠夫の首に後方から手をかけて後に引き寄せ、手拳で一回後頭部を殴打し、右乗降口ドアを開け、次いで同乗降口より右支部組合側の者二〇名くらいが車内になだれ込み、同乗降口附近の非常口あたりから同バス後方に赴こうとしていた右移動隊員高木近雄の腰部を一回蹴りつけ、また、同様後方に逃げようとしていた移動隊員中野進の腰部を二、三回蹴るなどの暴行を加え、よつて以後原判示のとおり右バス確保に至つたものである事実を認めることができ、右暴行等が、前記バス確保のためたがいに意を通じた支部組合側の者によるものであることは明らかであるとともに、右バス内の暴行が、同バス乗降口側最前部の窓等から入つた被告人を含む支部組合側青行隊員ら二〇数名のうちいずれかの行為であることも明らかなものといえる。右バスに乗つていた会社側移動隊員下野、大西、高木、中野、山田、青木、福田、山本、藤川、野村、藤永、古谷、峠村の原審各証言記載は、たしかにその供述内容に相互にそごするところもあり、幾分過大に述べられているとみられる点もあり、供述に至つた経緯に不審感をいだかせる点もないではないが、右各供述を相互に、また他の関係証拠にも比照して検討してみた場合、右認定にそう範囲内では十分信用できるものというべく、むしろ、古田勝、安藤勲、森田正人、清水喜重の原審証言記載、被告人の原審供述記載、同当審供述中、右認定に反する部分は、右各関係証拠に照らし措信しがたい。

ところで、被告人住田が右暴行等についていかなる形、程度で関与したかという点であるが、前記原判決挙示の各関係証拠等によると、被告人が右乗降口側最前部の窓、あるいは乗降口ドアのいずれかから同バス内に入り、他の共謀者とともに同バスを東駅構内の支部組合本部事務所まで運行して、同バスを、前記暴行等による威力を用いて確保する行為に加担している事実は明らかであるとみられるとともに、さらに、右各関係証拠のうち、右バス内にいた移動隊員下野ら多くの原審証言記載によると、被告人が右バス乗降口側最前部の窓から最初に入り同バス内の移動隊員大西、下野、高木、中野ら四名に対する原判示暴行をあたかも一人ですべてこれを行なつたかのごとくにこれをうかがわせる供述も少くない。ただしかし、これら各証言記載を仔細に検討し、かつ、他の関係証拠にも比照して勘考してみた場合、まず、右行為に関する供述は、被告人の特定につき、いずれも各暴行時に直ちにこれを明確に被告人と現認されたものではなく、その後バス後部に押しやられ、すでにバス乗降口ドアからも多くの支部組合側の者が入つている状況で、またその後の東駅に向う途中の間における現認状況から、右暴行前後ころの記憶をたどり、あるいは日頃の面識等も合わせ、被告人の特定に至つているもののようにみられるうえ、当時車内は暗く、また、被告人はヤツケで顔も一部覆つている状況であつて、大きい、肥えている、背が高いなどといつても、当初最前部の窓から入つたのも少くとも五・六名はいたものとみられ、その後間もなく乗降口ドアからも二〇名くらいの者がなだれ込んでいるわけで、しかも、右大きいなども必ずしも被告人だけがそのような状態であつたともみられない状況下では、右特定として、あいまいさは否定しがたく、さらに、被告人が最前部の窓から入つたという点も、原審証人木村昭宣(三七回)の供述記載によると、一五三号車の乗降口側窓は最前部の横開きの窓片側のみしかこわれていないことが明らかであるところ、さらに、原判決挙示の原裁判所の検証調書(昭和三九年六月一〇日付)によると、本件バス乗降口側最前部の窓は横開きの窓であるが幅が八二センチでその片側のみは約四〇センチであり、この窓につき中肉中背の山中裁判官が窓を開けてその窓から車内に入ることを試みたところ、その窓については頭の方から体をねじつて辛うじて入ることができたとされており、被告人の原審供述記載によると、被告人は当時体重八〇キロ前後もの体躯であつたことがうかがえることなどからすると、右窓から入ることも不可能ではなかつたであろうが、かなり困難であつたろうとも推測され、さらにまた、右被害者らの供述からすると、被告人があたかも右大西から中野に至るまでの一連の暴行をすべて一人でやつてのけたようにもなり、これもごく短時間の行為であつてみれば、突嗟の行為としても幾分不自然の感を否みがたいところであり、その他、右被害者、目撃者ら関係者の原審証言に至るまでの経緯等をも合わせ考量するとき、前記各暴行のうち少くとも後述する被害者中野に対する関係を除くと、その余については、これらが被告人の行為であると証拠上断定することには躊躇せざるをえない。もつとも、大西に対する暴行が古田によるものであるとする原判示認定にも右各関係証拠等から却つて疑念を生ずる。右被害者中野に対する関係では、右説示した事情にもかかわらず、原審証人中野進の供述記載によりうかがわれる被告人特定の態様、程度、右暴行の時期、状況、その他前掲各証拠に照らすと、右証言は被告人の特定も含め十分信用できるものというべく、右中野に対する暴行が被告人の行為によるものであることは肯認することができる。

そうだとすると、被告人の本件具体的暴行行為については右程度しか証拠上肯認できないが、本件は、原判決も被告人の行為につき右暴行の点は具体的にはなんら積極の認定をしていないところであるから、結局、右古田の関係その他判決に影響を及ぼさない程度の若干の点を除き、原判決にはなんら所論のごとき事実の誤認はないものというべく、したがつてこの点の論旨は理由がない。

論旨第二点。

理由のくいちがい、法令適用の誤り―本件威力業務妨害罪における「業務性」の判断について。

所論は、要するに、まず(一)、原判決は右「業務性」がないとする弁護人の主張に対し、「しかし、この点については小月事件においてすでに述べた通りであり、また威力業務妨害罪における妨害の客体は単に、現に執行中の業務のみに限らず、広く業務の経営を阻害する一切の行為を含むもので、被告人らの本件所為が一五三号車を東駅構内へ運び、これを業務経営の用に供することを阻止したるものである以上、会社の自動車による一般旅客運行業務の経営を阻害したというに難くなく……」と説示して、要するに、威力業務妨害罪における「業務」とは、抽象的一般的に「会社の自動車による一般旅客運送業務」であるとして漠然たる「基準」で判断している。しかし、右説示で引用している小月事件における「業務」についての判断では「争議が労使双方の力による拮抗である以上会社が対抗行為をとり得ることは当然であるけれども、その場合当面の対抗行為が凡て業務性を持つものではない」としたうえ、「それが業務と云いうるためには、当該行為が業務としての属性を有することを必要とし」、一般的には業務性をもつものではないとし、そしてさらに、本件の場合、「会社側の本件運行は業務のための運行を打切り、或は運行の意図のない車を分散の目的で運行させていたもので、かかる分散行為そのものは争議の関係においては、会社の本来の業務たる一般旅客自動車運送業の執行という範疇には属しないものと解されるが」、しかし、「車両分散は争議中における運行継続のため、会社側の手にバスを確保しておく目的をも持つてなされたものであることは否み難く、そうしてみると、分散行為は会社の右運送業を営む者という地位に基き、争議中右運送業を営むための準備行為或は予備的一手段としてなされたものと云うべきで、かかる行為は右運送業の執行に密接な関係を有するものと解するのが相当である」として、右業務性を肯定している。これはつまり、会社の争議対抗行為がすべて業務性をもつものではなく、本件の車両分散行為そのものが本来の一般旅客自動車運送業の執行という範疇に属するものではないが、右分散行為も、争議中会社が運送業を営むための準備行為、予備的一手段であつて、運送業の執行に密接な関係を有するものと解されるから業務性を肯定されるとしているものとみられ、右業務性の判断に厳格な態度で、きわめて具体的、流動的基準を設けている。この点は、明らかに前記本件の抽象的、一般的、漠然、固定的な「業務性」の認定基準とは異なり矛盾するもので、原判決にはこの点理由のくいちがいがある、というのであり、そして(二)、右「業務性」の認定基準としては、本件より右小月事件の方がより正確で正しいと思えるが、ただしかし、かりに同基準に照らして本件の「業務性」について検討してみるに、本件第一新地事件で問題となつているのは、「移動隊の足としてバスを運行」させる行為であり、原判決もスキヤツプ集団下野ら移動隊員による本件バス看守という業務については、移動隊の創設の目的、組織、指揮系統等からその「業務性」を否定し、右看守を含む本件バス運行行為自体が「業務としての属性」を有しないものであることは明らかであるうえ、当該行為が「業務の執行に密接な関係を有する」か否かの点についても、原判決も認定するとおり、移動隊は会社の「一般旅客運送とは関係のない組織」で、「移動隊員の中に広電等他企業の労組員や一般人が混つていたことを考えると移動隊は山電従業員を主体として組織されたというにすぎず、山電従業員としての地位資格は余り問題とはなつていないこと」、そして移動隊の行動は、「争議心得」にしたがつたスト破壊目的等にあつたことなどからすると、とうてい「山電会社の業務の執行に密接な関係を有する」ものとはいえないところで、本件判示とは結論を異にすべきこととなり、この点でも、原判決の「業務性」の判断には理由のくいちがいがあるというべきであり、そしてさらに(三)、右の点では、原判決には本件威力業務妨害罪の「業務性」の判断において、その法令の解釈適用の誤りがあるともいえる、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録により検討してみるに、まず、右理由のくいちがいの点であるが、この点は、原判決の本件第一新地事件についての「業務性」の判示部分の記載によると、原判決は、必ずしも所論のごとく単に、「会社の自動車による一般旅客運送業務」であるという抽象的、一般的基準で本件業務性の判断をしたものともみられないところで、それは結論としてそれにあたるとしているのみで、むしろ、業務性判断の理由としては、その前後の「小月事件においてすでに述べた通り」という点から、「威力業務妨害罪における妨害の客体は、単に、現に執行中の業務のみには限らず広く業務の経営を阻害する一切の行為を含むもので」、という点に重点があり、このいつている意味を忖度するに、これは要するに、現に行なわれている本来の自動車運送業務自体に限らず、小月事件ですでに詳述しているごとき「争議中運送業を営むための準備行為或は予備的一手段」ともみられるような「右運送業の執行に密接な関係を有するもの」も、威力業務妨害罪の「業務」に含まれるものだという理論を展開して、これに則り、本件第一新地事件についても、業務妨害罪の成立を肯定するに至つたものであるとみられ、まず、この点につき、原判決が、問題となる対象につき「業務性」を認定する基準自体について小月事件と本件につきなんら所論のごとき矛盾、抵触はないといえるのみか、右同一基準に従つた業務性の認定結論も、その問題の客体は具体的には異なるが、そしてその判断結論の当否は後に詳述するとしても、右いずれも結局、「業務の執行に密接な関係を有する」ものとの判断の上に立つて「業務性」を肯定するに至つたものとみられるところで、その結論に至つた理論的道程にもなんら矛盾はなく、かつその結論も右立論から十分うなづけるところで、これらの点につき、原判決になんら所論のごとき理由のくいちがいはない。

そして次に、右「業務性」の判断につき、威力業務妨害罪の「業務」の解釈、適用を誤つたという点について考えてみる。元来、山電会社は自動車による一般旅客運送を業とするもので、右「業務」のうちには右本来の運送業務そのもののほか、右運送業務を遂行する上において必要とされる当然の前提的、準備的諸行為も、右遂行上必須的に関連するものである以上、すべて右「業務」のうちに含まれるものと解すべきであるところ、本件の場合、現に直接問題となる客体は、原判決挙示の各関係証拠によると、争議中、支部組合側のバス確保戦術に対抗するため、会社の業務命令に従つた移動隊大賀隊長の指令に基づく山電従業員下野外一三名の移動隊員による山電バス(一五三号車)の看守保全ということであり、またそれに関連して所論の「移動隊の足としてバスを運行」させるという意味もあつたことは否定できないが、右各関係証拠によると、右下野らは右のごとくすべて山電従業員であり、移動隊も山電会社の意向を受けて創設され、その指揮下にこれに応じて行動していたものであることは明らかで、右は、結局、山電従業員として、争議中、あるいは争議終了後直ちに本来のバス運行業務に従事することができるよう、その事前の態勢確保のため、会社の右運行業務の遂行上当然の前提となる、バスの適切な所有、保全、管理の一環として、その意図のもとになされた行為であるとみられ、右下野らの行為は、平常の事態における業務態様からみると、かなり変形された行為ではあるが、支部組合側の山電バス運行阻止のための明らかに合法的な範囲をこえる激しいバス確保戦術に対抗する上で、山電会社としてもある程度やむをえない措置として十分首肯しうるところで、所論のごとく、ことさらスト破壊を目的としたものともみられない以上、その「業務性」を否定すべきものとは解されない。右の点、原判決には、右「業務」に関し、少くともその結論において、その法令の解釈、適用になんら誤りはない。

したがつて右論旨もすべて理由がない。

論旨第三点。

理由のくいちがい、事実誤認、法令適用の誤り―現場共謀適用の誤りについて。

所論は要するに、(一)、原判決は、本件争議に現場共謀の適用を認め、その理由としては、集団行動としての争議行為もそのもつ共同目的のいかんによつて違法集団に転化する、そして個人がその共同目的を認容してその集団に属し行動している以上、相互の意思疎通が認められ、現場共謀を肯認される、としている、しかし、右「共同目的認容」があるかどうかは正に共謀を認められるかどうかの「立証テーマ」それ自身であり、これを資料に「立証テーマ」自身を立証するといつたことは全く無意味で、右は結局、「その集団の構成員であり現場にいた」ことのみで、現場共謀を認めたと同一に帰し、この点、原判決が「単に集団の構成員であり、現場にいたこと丈で直ちに現場共謀とは見得ないことも十分肯けるが」としている点と矛盾し、原判決の右共謀認定の説示には理由のくいちがいがある、といえるというのであり、次に(二)、被告人は、現に青行隊の一員として本件争議に参加してはいたが、心臓病等の肉体的条件から積極的に活動したことはなく、青行隊の後について歩いていたという実状であり、単に「集団の構成員であり、現場に居ただけ」であるのに現場共謀を認められている点、原判決には事実の誤認がある、というのであり、さらに(三)、原判決は、争議行為も含めた集団行動につき、それがその目的の違法によつて違法集団に転化すると、当該集団行動に参加していた労組員全員が現場共謀論を媒介に刑事責任を負うかのごとく説示しているが、勿論、争議行為といえども参加者の行為が刑事処罰を相当とする程に「高度の反社会性」を具有することとなる場合も考えられるが、しかし、この場合でも、争議行為参加者全員が刑事責任を負うのではなく、そのような「高度の反社会性」のある行為をした個人が、個別的に特定され、個人責任を追及されるにとどまり、またそれに限定されるべきであり、一争議参加者にすぎない被告人個人を本件争議行為という集団行動に属し、一定の目的の下に統率されて行動したということのみで刑事罰を加えようとするのは、原判決が争議行為という集団行動の正しい理解を誤り、そのこと自体で現場共謀論を安易に適用して右集団行動を刑事処罰の対象としようとしたものとみざるをえず、これは結局、勤労者の団結権に関する憲法二八条の解釈、適用を誤つたものといわざるをえない、というのである。

そこで、記録により検討してみるに、たしかに、原判決の本件共謀に関する説示は、被告人の共謀を認めるにあたり、集団行動における違法集団という概念を用いすぎて、肝心の、原判決のいう集団における「共同目的認容」、言葉をかえていうと、共謀における「共同実行の意思」の事実の認定につき、これをどのように認定したのかの説示が全くなく、あたかも統率された集団行動に参加しているだけで、安易に違法集団構成員として全体としての刑事責任を追及されるかのように読みとれなくもなく、この点所論の指摘も一応うなづけなくもないようにみられる。しかし、原判決の説示するところを詳さに判読すると、結局、原判決も、共謀が成立するためには、共謀者全員につき個々的に検討してそれぞれに共同実行の意思が必要なものであることを示し、被告人についても、原判決挙示の各関係証拠によると、当然他の共謀者との共同実行の意思の存在が認められることを前提に説示しているものとも理解され、違法集団自体を、またその参加者自身を当然に現場共謀者として処罰すべきものとしているものともみられないところで、違法集団云々の説示も、本来正当なものとして容認される争議行為でも、その全部あるいはそのうちの一部が、流動する争議現場のある段階においては、違法行為を意図し、かつ同行為に出る違法集団に転化することもあり、この時点で、同集団を構成する個人につき現場共謀が成立しうるものであることを一般に示しているにすぎず、同構成員の主観的、客観的側面での個々的検討を度外視してまで共謀を認めうるとしたものともみられない。したがつて、まず、右の点につき所論のごとき理由のくいちがいはないのみか、憲法二八条に関する解釈、適用の誤りがあるともみられない。そしてさらに、被告人につき、証拠上右共謀を認めうるかの点については、すでに前記論旨第一点において説示するごとくで、原判決挙示の各関係証拠のほか原審証人中野進の供述記載をも合わせ勘案すると、被告人が他の共謀者らとたがいに意を通じ、ともに本件を実行する意図であつたことは明らかで、本件暴行傷害の点につき、その具体的暴行に被害者中野の関係を除き現に関与した事実が証拠上明確でないとしても、右共犯者としての刑責を免れるものでないことはいうまでもないところで、この点原判決には所論のごとき事実判断の誤りもない。

したがつて、右論旨もすべて理由がない。

論旨第四点。

法令適用の誤り―正当なピケの範囲の解釈、適用の誤りについて。

所論は要するに、原判決は、山電バス一五三号車を取り囲んだ被告人ら約一〇〇名くらいの集団は、同取り囲んだ時点以降においてはもはや正当な争議行為を目的とした合法的な集団としての性格を失い、違法集団に転化した旨判示しているが、これは、本件第一新地事件の支部組合側の車両確保行為が、いわば昭和三四年一〇月以来強行されて来た山電会社による支部組合破壊行為の凝縮された頂点ともみられる本件一五三号車を中心とする「籠城作戦」という「対抗行為」に対応するものとしてなされたものであるのに、原判決はこの間の事情をなお十分考慮せず、かつ、争議権を生存権的基本権として十分理解しきれないまま、本件争議行為としての右バス確保行為の正当性の判断を誤る結果となつたことによるものとみられ、この点、原判決には右正当性につきその関係法令の解釈、適用を誤つた違法がある、というのである。

しかし、本件のごとき車両確保行為の一般的違法性についてはすでに前記総論関係で詳述したとおりであるが、さらに具体的関係で説示すると、前記論旨第一点で説示した被告人を含む支部組合側共謀者らの行なつた原判示認定のごとき所為は、かりに所論のごとき事情を全くそのとおりであるとしても、またさらに、その他の本件争議当時におけるあらゆる諸事情を十分考慮に加えても、とうてい正当な争議行為の範囲内に属するものとはみられないところで、その範囲を逸脱したものとして刑事罰の対象となるべきものと解すべきは明らかなところであり、この点、原判決の法律判断になんら誤りはない。右論旨も理由がない。

よつて、本件については前記冒頭で説示したとおり、原判決に理由不備の違法があるので刑事訴訟法三七八条四号三九七条一項により原判決中被告人住田孝男に関する部分を破棄することとし、同法四〇〇条但書に則りさらに当裁判所において次のとおり判決する。

(本件争議に至る経過)

下関ジーゼル事件で判示するとおり。

(罪となるべき事実)

被告人住田孝男は支部組合員であり、支部組合の三六年春斗に参加していたものであるところ、昭和三六年五月三〇日午前零時三〇分ころ、私鉄総連赤出の指揮に従い支部組合青行隊外支援労組員ら約三〇〇名くらいとともにバス確保のため、バスに分乗して下関市新地町明月旅館附近に出動したものであるが、その際右支部組合青行隊および支援労組日炭高松青行隊員ら約一〇〇名くらいとともに、同所新地警察官派出所横道路上に駐車していた山電バス山二あ〇一五三号横歩道、車道側にこれを取り囲むように集り、同バスに乗つて支部組合側のバス確保に備え同バスを保全看守していた山電従業員下野忠夫外一三名の移動隊員に向い、口々に「出て来い」などと呼びかけ車の引渡しを求めたが、右下野らは右バス乗降口扉、窓等すべて閉ざし、とうてい平和的手段では右引渡しに応じる状況にはなかつたことから、右被告人ら約一〇〇名くらいの支部組合側の者は、あるいは暴行等威力を用いてでも、右下野らの抵抗を排除して強いて右バス確保を果たすほかないと考え、たがいに意を通じ、スクラムを組んで乗降口扉に体当りしてこれを開けようと試みるとともに、道路標識様の棒で乗降口側最前部の窓ガラスを破壊し、これをきつかけに棍棒様のもので運転席側の窓ガラスも次々に叩き壊し、次いで、右共謀者らのうち被告人を含む約二〇数名の者は、まず、うち五、六名の者が乗降口側最前部窓から車内に乗り込み、右窓近くの通路にいた移動隊員大西猪三雄の右肩を平手で一回突き、棍棒様のものでその後頭部を一回殴打して後方に押しやり、さらに、乗降口ドアを押さえていた右下野の首に後方から手をかけて後に引き寄せ手拳で一回後頭部を殴打し、右乗降口ドアを開けて、右二〇数名のうちその余の者が右乗降口ドアからどつと車内になだれ込み、同ドア附近にいた移動隊員高木近雄の腰部を一回蹴りつけ、また、同中野進の腰部を二、三回蹴るなどして威力を示し、下野ら全員をバス後部に追いつめその抵抗を排除して途中車外にのがれた中野ら四名を除く一〇名の移動隊員を乗せたまま同所より東駅構内の支部組合本部事務所まで運行してこれを確保し、もつて威力を用い山電会社の一般自動車運送業務を妨害し、かつ、その際右暴行により右大西に対し全治約一〇日間を要する後頭部打撲傷を、同高木に対し治療約三日間を要する腰部打撲傷をそれぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)(省略)

なお、

一、本位的訴因についての判断。

右公訴事実の要旨は、被告人住田孝男は支部組合の組合員で同支部の労働争議に参加していたものであるが、外三〇〇名くらいと共謀のうえ、山電会社所有のバスを強取しようと企て、昭和三六年五月三〇日午前零時三〇分ころ、バスに分乗して下関市新地町明月旅館附近に押しかけ、同会社が営業に備え看守者を付して同所路上に駐車していたバスに襲いかかり、他一〇〇名くらいとともに山電バス一五三号を取り囲み、スクラムを組んで乗降口扉等に体当りし、窓ガラスを壊したうえ、外二〇名くらいとともに窓等から車内に乗り込み、右看守者の一人大西猪三雄、下野忠夫、高木近雄、中野進らに暴行を加えるなどして、同人らの反抗を抑圧して同バスを強取し、かつ、その際右暴行により、右大西、高木の両名に対しそれぞれ傷害を負わせたというものであり、右は強盗傷人に該当する、というのであるが、右については、原判決も詳細説示するとおりで、右挙示の各関係証拠および記録によると、右につき不法領得の意思を肯認することができないから、右公訴事実中その余の構成要件事実につき勘考するまでもなく、右強盗傷人罪は認められないものといえる。

二、弁護人の主張に対する判断。

弁護人らは、被告人の本件行為がかりに威力業務妨害・傷害に当るとしても争議行為として正当な範囲内のものである旨主張しているが、そうでないことはすでに、前記本件控訴趣意論旨第四点で説示したとおりである。

(法令の適用)

被告人の判示所為中威力業務妨害の点は刑法六〇条二三四条二三三条六条一〇条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号二条に、大西、高木に対する各傷害の点はいずれも刑法六〇条二〇四条六条一〇条、右改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号二条に各該当するところ、右威力業務妨害と各傷害とは、それぞれの関係でいずれも観念的競合に当るので、刑法五四条一項前段一〇条により、結局以上、一罪として最も重い右大西に対する傷害罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内で被告人を懲役三月に処することとし、なお情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、原審および当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により、主文二項掲記のとおり被告人に負担させることとする。

第五、山陽自動車学校事件

(被告人西村淺吉、同小島康生、同濱本進也、同小田正司の各建造物侵入事件関係)

検察官控訴。

検察官の論旨第一点。

所論は要するに、原判決は被告人らの本件立ち入り行為についていわゆる実質的違法性論に基づきこれを無罪としたものと考えられるとしたうえ、この判断の誤りを種々主張するものである。

しかし、原判決の記載によると、原判決が被告人らを無罪としたのは右実質的違法性論なるものに基づくものではなく、結局、右本件行為は労働組合法一条二項の正当な争議行為の範囲内に属し違法性を阻却すべき場合であるとしているものとみられるから、右論旨の判断は省略し、次の論旨第二点との関連で合わせ判断する。

検察官の論旨第二点。

所論は要するに、原判決は被告人らの本件立ち入りが労働組合法一条二項、刑法三五条により正当な行為として違法性を阻却すべきものと判断したものともみられるが、しかし、本件山陽自動車学校の練習場が同学校校舎、事務所等に附属する同囲繞地で刑法一三〇条所定の「人の看守する建造物」に含まれることはいうまでもないところ、右立ち入りの目的、手段、態様、状況、前後の事情等に照らすとき右立ち入りは、最早正当な争議権の範囲をはるかに逸脱した不当なもので、労組法一条二項刑法三五条を適用する余地のないものであるから、右正当性ありとして無罪とした原判決はその前提となる事実を誤認し、かつ、労組法一条二項、刑法三五条の解釈適用を誤つたものというべく、これが、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して以下検討することとする。

一、まず、右正当性の判断に先だち、本件山陽自動車学校敷地が刑法一三〇条所定の「人の看守する建造物」に含まれるかどうかにつき判断する。

原判決の認定する事実および原判決挙示の各関係証拠によると、本件山陽自動車学校は、その敷地総面積三八五四坪のほぼ東西に長い楕円形の高台上にあり、その中央部ほとんどが自動車練習コース、初心者広場コース等の自動車練習場から成り、ただ(一)、その周囲西方一角に平家建バラツク建坪七〇坪の二教室、車庫、管理室を含む学校校舎建物一棟があり、さらに(二)、東北側入口附近に木造平家建建坪二二坪の事務室、当直室、校長室、理事室を含む学校事務所建物一棟があるほかは、(三)、東端に小規模な車庫、洗車場がある程度であり、右敷地周囲は、山林、雑木、石崖、堤防風の土手などで区画された地形をなしているが、当時その周囲境界線ほぼ全線に亘り有刺鉄線の木柵(高さ約一・七メートルの古枕木、材木丸太に横に五、六段の有刺鉄線をはりめぐらしたもの)が設けられていて要所要所には「無用の者立入を禁ずる」と白ペンキの板に黒字で表示された山陽自動車学校記名の約一〇本程度の木製立札が柵外から見易いように掲出してあり、一般の自由な出入りの禁じられていることが明示されている状況にあり、入口は、当時北東に一か所のみで、門扉、門構等はなく、また入口としての表示もないが、ほぼ南から北に向い約二〇度の降り勾配をなす長さ約三五メートル、幅約七ないし一一メートルの人家、生垣、煉瓦塀、また有刺鉄線をはつた木柵等にはさまれたバラス、砂利の坂道で公道に通じ、一見して入口であることが明らかな状況にある事実がうかがわれ(もつとも、原判決も指摘するとおり、本件争議に入る直前ころ、山電会社側において右周囲の木柵をかなり補強し、また、右通路東側、校舎裏側等に木柵を新設し、その際右立入禁止の立札も設置し、入口も右正面入口以外は閉ざすなどしたものである事実がうかがわれる)、そしてさらに、右入口には、その後本件スト突入の五月二七日午后およびその後の補強で、会社側において右長さ約三五メートルの入口通路中央辺公道寄りに、五・五メートルの間隔を置き二段構えに通路を斜めに横切る形で、通路上の楠木の立木を利用して松丸太を縦、横に組んだ高さ一・七ないし二メートルの有刺鉄線をはりめぐらし固定した二個のバリケードを設け、さらにその内側(学校寄り)に比較的古いバス一台をエアーを抜き動けない状態でやはり斜め横において通路を遮閉し、車の出入りは全く不可能で、かつ、人も右バリケードおよびバス横を一人が漸く通れる程度の間隔を残すのみの状態であり、そしてまた、右バリケード中央部には「無断立入を禁ずる」旨の山陽自動車学校長の立札を表示して一般の立入りを規制し、学校職員、生徒らは右バリケード横の小さい通路から出入りしていた事実がうかがわれ、さらにまた、右山陽自動車学校の敷地、建物等は同校校長の管理するところであり、平常時は昼間職員一〇名程度を擁し、夜は宿直員一名、もつともストに入つてからはあるいは二名寝泊りして管理していた状況にあり、ただ、後に詳述するとおり、右学校は実質的には山電会社の業務支配下にあつたことから、右学校構内自動車練習場には会社側の要請でストに入る前の五月二四、五日ころよりバスの分散保管がなされ、山電下関営業課長大久保博司の指示で山電従業員数名が右分散車両の保管、警備に赴き、その後出入りがあつたが当時平均して二〇名程度の者が常駐して校舎等に寝泊りし一班四人構成の五班で交替して右車両また入口附近等での右保管、警備等にあたつており、本件立入り当日も、会社側右責任者大久保課長、同下関営業係長安田嘉吉らを含む右山電従業員らが現に滞在していて右任に当つていた事実がうかがわれる。

ところで、一般に、刑法一三〇条所定の「人の看守する建造物」の中には、その建物自体のみならず、同建物に附属しこれと一体をなして右建物の効用を果たす関係にある周囲の敷地で、門塀、柵その他で区画され、一般の出入りが規制されていることの明らかないわゆる囲繞地をも含むものと解すべきはいうまでもないところ、右認定した事実関係からすると、たしかに、本件山陽自動車学校はその形態、敷地面積、業務の性質等からして、本来自動車練習場コース敷地が主体で、むしろ校舎、事務室等はこれに附随するかの観を呈するが、しかし、自動車学校としての機能は、右コースでの実技練習のほか校舎での授業、事務室での管理等にも、それぞれ各別の重要な意味があつて、主従という観念を入れるにふさわしくなく、むしろ相互に密接に関連従属し合つて一体をなす関係にあるとみられ、このような場合、右敷地は、一面、校舎等建物にその効用を果たすために附属したものと観念することも可能で、そのうえ、本件敷地につき、前認定のとおり、スト対応策のためのバリケード設置等を一応除くとしても、敷地周囲の木柵等により敷地の範囲は明確に区画されて一般人の無断立ち入りが禁止されている状況にあつたことは明らかであるから、右敷地が建物と一体をなして刑法一三〇条所定の「人の看守する建造物」に含まれるものと解すべきは明らかなところといえる。そして、右看守者は校長とみるべきであるが、本件当時の前記分散車両の保管、その警備などのための山電従業員の滞留といつた事実も、右校長の管理下での一時的事象であつて、右敷地、建物本来の性格、管理形態を左右するものではないと解される。

二、そこで次に、被告人らの本件立ち入りが労働組合法一条二項の正当な争議行為の範囲内に属するものかどうかにつき判断する。

原判決の記載によると、原判決が本件につきその違法性を否定し結局正当なものと判断した理由の骨子は次のとおりである。

つまり、(1)自動車学校は、その各種学校として認可を受けた主体、理事の構成、土地、建物の所有関係、経費資金の出所、スト期間中の学校の休校等からして、実質は山電の営む一営業部門としての性格を有し、少くとも完全に山電の支配下にあつたことは明らかで、したがつて、被告人ら四名の本件立ち入りは第三者占有土地への立ち入りではなく、山電の占有する土地への立ち入りと同等に評価されること、(2)、自動車学校が有刺鉄線を使つた柵で囲まれ、立入制止札が立てられたのは支部組合側労組員に対する専らその車両確保を防止するためのものであつたこと、(3)、本件立ち入りは終局的には車両確保を目的としたものではあるが、本件争議は支部組合側にとつて昭和三四年一二月の会社の手による組合分裂以来会社側の執拗に加えられた支部組合への攻撃、弱体化政策等に対し、まさしく組合組織の興廃をかけて取組んだもので、会社側の暴力団、右翼の雇い入れ、争議心得の作成、移動隊の設置等による支部組合の争議行為の制限、また、当時地労委が斡せんに乗り出している折柄、会社側はなお運行を開始しようとする状況にあつたことなどからして、支部組合側としても分散車両の運行をなんとしても阻止したかつたことは十分理解しうるところであつて、終局的には確保であつてもまずは説得による阻止を意図したものであり、現実にはその必要がなかつたにすぎないものであること、(4)、さらに本件立ち入りの態様は、早朝で一三〇名の多数であつたことを考慮に入れても、平穏なもので、入口のバリケード破壊の点も同バリケードは専ら支部組合側の立ち入りを防ぐための臨時のものであるうえ、これは楠木に固定した部分の有刺鉄線を切断すれば簡単に倒壊する構造のものであつて、右部分を切断して倒れたバリケードを片側にまるめて寄せたとしても暴力とまでいいうる実力行使ともいえないこと、(5)、その他本件争議の全態様を総合勘案すると、本件立ち入り行為は正当な争議行為の範囲内に属するものといえる、というのである。

そこでまず、これらの理由および前記検察官の論旨を中心に、これに関する事実関係について検討してみるに、原審および当審において取調べた各証拠に照らし原判決の認めた事実のうち当裁判所においても肯認しうる事実およびこれに補足的に附随するものとして認められる事実は次のとおりである。

(一)、佐々木只介の検察官に対する供述調書、原審証人安成稔(七四回)、同河野泰光(八六回)、同安田嘉吉(一八回)、同大久保博司(二三回)の各供述記載、司法警察員三村源治作成の検証調書(昭和三六年七月二七日付)および実況見分調書(同年六月六日付)によると、山陽自動車学校は、昭和三四年一一月ころから山電重役間でその設立の話がもち上り、昭和三五年七月二一日山電代表取締役社長林佳介名義で各種学校としての県知事の設置認可を受けたものであるが、その学校の敷地、建物は山電傍系会社山電不動産から賃借し、その運営資金は山電から八七〇万円を借り受け、理事長は山電社長林佳介、理事は山電の総務、経理、自動車、土木の各部長のほか山電外の河野泰光が常任理事として就任し、他から佐々木只介を校長に迎えてそのころ開校したものであり、将来は公安委員会の指定教習所としての指定を受け、独立した株式会社組織で経営して行く段取りで、当時一先ず山電重役等による理事制で経営することとする右準備的な任意組合組織であつたと認められ、これら設立の経緯、およびその経営構造、またその実体等からすると、たしかに、本件山陽自動車学校は山電とは独立した別主体の存在ではあるが、その実質は、学校の敷地、建物の利用を含め少くとも学校経営の面ではほぼ完全に山電の支配下にあつたものと推知されなくもない。

(二)、そしてさらに、右原審証人河野の供述記載を除く右その余の各証拠のほか、原審証人三村源治(一八回)、同吉広栄助(一九回)、同森哲朗(一九回)、同宮城和人(二〇回)、同藤井久二(七〇回)、同小川泰宏(二一回)、同上村忠雄(二一回)、同中〓力(二一回)、同八木正(二二回)、同東谷靖夫(二二回)、同山田敏夫(二二回)、同重田幸昭(七三回)、同田村弘治(七三回)、同中泉義春(五六回)、被告人小島康生(八二回)、同小田正司(八二回)、同西村淺吉(八二回)、同濱本進也(八二回)の各供述記載、原審証人八代瑞穂尋問調書(昭和四四年三月一三日付)を合わせ総合勘案すると、

(1)、会社側としては、昭和三六年春斗においてはその前年昭和三五年春斗において大量の会社分散車両を支部組合側に確保されて運行を阻止された経緯にかんがみ、早くからかなり強い形での車両分散による支部組合側の右確保阻止、また運行の継続を目論み、その分散先として山陽自動車学校敷地をも選び、会社車両分散計画の責任者山電安成運行課長において昭和三六年五月はじめころ佐々木校長に支部組合側の右バス確保を阻止するため、分散後のバス警備は会社側で行なうことの前提で、右学校の敷地使用方を申し入れてこの諒承を得、五月一五日ころより本件争議前に至るまでの間、会社側において、すでに前述のとおり、学校の周囲の柵を補強し、またその表正門入口通路等に従前の木柵に接続させて新たな柵を設けるなどして校内全周囲を高さ約一・七メートルの丸太等に五、六段の有刺鉄線を張りめぐらした木柵また土手などで通常の方法では外部からの出入りは不可能な状態におき、また、無用の者立ち入りを禁ずる旨の立入禁止の木札約一〇本を立てて右一般の立ち入りを禁ずる趣旨を明示し、そしてさらに、山電バスは、五月二四日山電従業員の練習バス二台を分散したのをはじめ五月二五日さらに定期運行バス一五台を分散し、翌二六日はうち四台を残し同日朝定期運行に出発し、同日夜再びバス一四台を分散し、さらに、五月二七日は同日朝うち四台を残し一四台が運行に出て同日夜一二台が入り、結局本件スト突入の同月二七日夜の状態では計一六台のバスが終局的に分散されたことになつたが、同分散車両は、自動車学校内の自動車練習場のうち西方校舎前附近の初心者広場コースにまとめて置かれ、また同分散の終了を待つて正面入口通路に、そのころすでに設けられていた従前の簡単な松丸太等による可動性のバリケードを同月二七日ころすでに前述のとおり松丸太を有刺鉄線で通路中央辺の楠木に固定した二段構えのバリケードを構築し、無断立入禁ずの立札を立て、その後同月終りごろ、右バリケード後方(学校側)にタイヤのエヤーを抜き容易には動かせない状態でバス一台を横斜めに置いて右入口通路をその入口に向つて右側を人が漸く通おれる程度に開けたのみで、バス等車両の出入りは全く不可能な状態に遮蔽するに至り、さらに右分散車両もタイヤの空気を抜き、外側にある車両についてはタイヤ、ハンドル等の部品を取りはずすなどして容易には運行できない状態にしていたこと、

(2)、そして、右分散車両の警備としては、五月二五日ころから最初山電下関営業課係長安田嘉吉ほか山電従業員五、六名が赴いたのをはじめ、次第に増え、五月二八日には下関営業課課長大久保博司も赴き、途中若干の出入りはあつたが本件当時おおむね二〇名程度の山電従業員が右学校に滞留し、右安田、大久保において現場の指揮に当り、全員学校の校舎、事務所等に寝泊りし、一班四、五名の班を編成して夜も交替で右車両の警備に当り、特に正面入口での支部組合側の入校、また車両確保の阻止に意を用いていたこと、

(3)、なお右警備に当つた者のうちには、当時争議がはじまつて後、右山電従業員以外にさらに一〇ないし二〇名くらいの本来の従業員以外の者が山電本社から派遣され、守衛などという名目で右車両警備またバリケードの構築等に当りこれらのうちにはその外観、風体その他から断定はしがたいが巷間いわゆる暴力団と思わせるような者もごく若干含まれていたような事実もうかがえなくもないが、いずれにしても、これらは被告人らの本件立ち入り当時にはすでに引揚げて学校校内にはいなかつたものと推知されること、

(4)、ところで、かような状況下において、一方支部組合側としては、六月二日早朝会社側のバス運行計画を察知した共斗委中田において地労委が斡旋に乗り出し争議も終結に向つている折から、ここで会社側に運行されては争議の成果も著しく減殺されると考え、共斗委の八代に自動車学校に分散中の車両の運行阻止を指示し、これを受けた八代は、最終的には車両確保の意図も含め、青行隊、炭労関係支援オルグ等約一三〇名くらいを率きい、この旨を説明し、組合側で借り受けたバス三台に分乗して同午前五時すぎころ自動車学校近くの豊浦高校附近に至つて下車し、整列してほぼ集団をなして自動車学校正門入口近くに向い、被告人ら四名も、右趣旨に従つてこれに参加し、ほか数名と正面入口通路バリケードの向つて右横のわずかな間隙を通り抜けて校内に立ち入り、やがて他の大多数のものもこれらに続き第一バリケード北側半分、第二バリケード南側半分をその有刺鉄線を切断し丸太を倒すなどして取りこわし、防塞用バス横をとおつて校内に立ち入り、その際、被告人小田は現場撮影用にカメラを携行し、被告人濱本はスパナ等車両整備用の工具を携行し、次いで、右校内で、被告人ら四名を含む約一〇名程度の者は会社側の分散車両の置いてある場所にかけつけてその状況を見分したが、同分散車両は前記のとおりタイヤの空気を抜いているほか一部はハンドルその他の部品がかなり取りはずしてあつて修復には一台につき半日もかかる状況にあるとみられたことからそのことを右八代に報告したところ、八代は会社側の右分散車両運行の可能性はないと判断し、右校内の青行隊員ら四列縦隊で隊伍を組み、気勢を挙げ、かけ足で自動車練習コースをほぼ一周する示威行進をして表通路を通り全員引き揚げるに至つたこと、

(5)、その間約四〇分くらいであつたとみられるが、会社側警備員らとしては、当初藤井久二らにおいて入口通路附近で入つてはいけないと制止したことのあるほかは、入口通路を入つたところの事務所前に大久保課長以下二〇名近くのものが集つて被告人らの挙動を見守つているのみで、組合側も立ち入りについての承諾を求めあるいは事情を説明するといつたこともないまま、双方間に格別の折衝、またトラブルもなく、外観的には全体として概して平穏裏に推移し、もとより被告人らの車両運行阻止のための右従業員らに対する説得といつた行為またこれに応ずるといつた事態も現実には全くなく、そして、被告人らの右自動車学校に立ち入つた目的も、たしかに原判決も指摘するとおり、分散車両の運行阻止についての説得の意図も全くなかつたとはいえないであろうけれども、被告人らにおいて、当時会社側右従業員らが被告人らの説得に応ずるであろうとははじめから予期していなかつたもののようにみられ、いずれにしても相手方が説得に応じなくても運行可能な車両は持ち出し支部組合側の現に占有する場所に回送して確保する意図であつたとみられること、

(6)、なお、当時自動車学校としては校長のほか指導員ら職員一〇名がいて夜間は少くとも一名が宿直し校内管理に当つている状態であり、本件六月二日早朝も一名宿直していて、争議中も、原判決は休校同然であつたと認めているが、学校は支障なくほぼ平常どおり教習を行なつていたこと、

などの事実が認められ、被告人らの前掲供述記載中右認定に反する部分は措信しがたい。

原判決の認定するところは、事実としては、若干の点を除くとほぼすべて肯認しうるところといえる。

しかして、右各認定事実からすると、すでに前述のとおり、山陽自動車学校がその敷地、建物を合わせ一体として刑法一三〇条所定の「人の看守する建造物」に当たることは明らかであるとともに、かつ、校長がその学校運営上右敷地、建物等の全般的管理権能を有し右看守者とみられ、また、大久保課長らは当時前記会社の分散車両保管警備の関係でのみ右校長の管理権能の下でその看守補助者的立場にあつたものとみられるところ、被告人ら四名を含む支部組合側約一三〇名くらいの者は前記のとおり少くとも終局的には分散車両の確保を意図して立ち入つたものであつて、同立ち入りが右看守者の意に反するものであることは明らかであり、本件立ち入りが一応構成要件的に刑法一三〇条所定の建造物侵入罪にあたるものであることはいうまでもないところといえる。

そこでさらに、右各認定事実に照らし被告人らの本件立ち入り行為が争議行為として正当なものといえるかどうかという点につき考えてみる。

たしかに、山陽自動車学校は前記のとおり形のうえでは山電と別個の独立した存在ではあるが、実質的には山電の支配下にあり、なかんずく本件争議当時は分散車両の保管、警備のためのみとはいえ事実上山電従業員らによつて占有支配されているごとき観のあつたことは免れがたい。しかし、会社側としても、すでに前述のとおり自動車学校への車両分散、また柵の新設、バリケードの構築といつたことも、昭和三五年春斗以来の経緯等に徴するとその車両を適切に保全看守するためにある程度やむをえなかつたものとみられ、その意に反してでも右車両を持ち去つて運行を阻止しようとする者に対しその立ち入りを禁止することも右車両所有者としてはむしろ当然のことで不当ともいえない。もつとも、支部組合側としても、右のごとく自動車学校が実質的には山電の支配下にあり、しかも現に会社所有のバスが二〇台近くも分散保管されていて同所から山労所属の山電従業員による運行も予想される状況においては、同運行を平和的に阻止するため、右車両状況の点検、右山労員の説得などのためにはそれに必要な限度で、かつ平穏な態様によるということであれば、かりに右会社、学校側の意に反するという場合であつても、少くとも本件のごとき争議前また争議当時の諸状況下においては、右校内立ち入りも争議権の正当な範囲内に属するものとして許容される余地がないともいえない。しかし、本件の場合、すでに前述のとおり被告人らに右説得の意思が全くなかつたともいえないとしても、前掲各証拠に照らすと、本件立ち入りに際し、現に説得らしい説得のなされた形跡は全くうかがわれないのみか、むしろ、運行可能な車があれば一三〇名もの多勢を背景に有無を云わさずこれを持ち出し支部組合側の支配する東駅構内に回送して同車両を確保し運行を阻止する意図であつたと推知され、被告人らにも本件立ち入りに際し右意図のあつたことがうかがわれる限り、かりに右説得等の意図も同時にあり、また、現実には右車両確保に至らなかつたとしても、本件立ち入り行為の違法評価にはなんら質的な差異を生じないものというべく、その他、本件立ち入り行為の態様、立ち入り時の状況等をも合わせ考量するとき、前認定のごとき諸事情、本件争議に至る経過、争議当時における諸般の事情等をいかに考慮に加えても、本件立ち入り行為が争議行為として正当な範囲内のものであるとみることは困難である。

そうだとすると、結局、被告人らの本件立ち入り行為が争議行為として正当な範囲内に属するものであるとした原判決は右正当性に関する法令の解釈、適用を誤つたものというべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決は破棄を免れない。右検察官の論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項三八〇条により原判決中被告人ら四名に関する部分を破棄することとし、同法四〇〇条但書に則りさらに当裁判所において次のとおり判決する。

(本件争議に至る経過)

下関ジーゼル事件で判示するところと同じ。

(罪となるべき事実)

被告人西村淺吉、同小島康生、同濱本進也、同小田正司は山電従業員で支部組合の労働争議に参加していたものであるが、外一二〇名くらいの支部組合側労組員と共謀のうえ、当時山陽自動車学校で分散保管中の山電バスを違法に持ち出し支部組合側に確保する目的で、昭和三六年六月二日午前五時ころ右山陽自動車学校校長佐々木只介看守にかかる下関市長府町松原二八五九番地の二所在の同校校内に立ち入り、もつて故なく人の看守する建造物に侵入したものである。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人らは被告人らの本件行為がかりに建造物侵入罪に当るとしても、争議行為として正当な範囲内に属するものである旨主張しているが、そうでないことについてはすでに前説示のとおりで、右主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人らの各所為はいずれも刑法六〇条一三〇条六条一〇条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号二条に各該当するところ、いずれも所定刑中罰金刑を選択し、その所定各罰金額の範囲内で被告人らをいずれも各罰金二、五〇〇円に処することとし、刑法一八条により被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、なお原審および当審の訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により主文二項掲記のとおり被告人らに負担させることとする。

第六、第二新地事件

(被告人梶原則之の公務執行妨害事件関係)

被告人控訴。

弁護人らの論旨第一点、事実誤認の主張について。

所論は要するに、原判決は、その罪となるべき事実において、警察官松井一男が日炭高松労組員から左腕第二関節附近を鉄管様のもので殴られたため、近くの支部組合側一団の中に逃げ込もうとする同労組員の二の腕附近を掴んでこれを逮捕しようとしているのを被告人は目撃し、これを阻止しようとして右警察官松井の後方から頸部を締めつける暴行を加えた旨認定しているが、しかし、まず(一)、松井巡査が腕を鉄管で殴られたという事実は、松井巡査の証言以外にはこれを認める証拠はないのみか、その証言自体にも、炭坑労働者に鉄管で殴られたというのに同松井巡査には打撲傷もあざもない、など、矛盾疑念が多く信憑性がなく、右事実は肯認しがたいものであり、また(二)、原判決は、被告人が右のような松井巡査の逮捕行為を目撃したというが、これを認めるに足る証拠は存在せず、被告人は警察官を支部組合要員中に入らせないようにしただけであり、当時警察官、移動隊、支部組合が三巴になつて混乱状態を呈し、松井巡査は支部組合のピケの中にまきこまれている状況下では同人の行動を見極めることは困難であり、現に被告人自身右松井巡査が鉄管様のもので殴られたのは勿論、逮捕しようとしているのは目撃していないのであり、原判決は右二点において事実を誤認したものといえる。というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、まず、警察官松井一男が原判示のごとく日炭高松労組員から左腕第二関節附近を鉄管様のもので殴られたという事実を肯認する直接の証拠は、たしかに、原審証人松井一男の供述記載のみであり、しかも、同証言を仔細に検討した場合幾分不自然な感を抱かせる点もないではない。しかし、同供述記載を原判決挙示の他の各関係証拠と合わせ勘案するとき、松井巡査は、当時下関市新地二町下関警察署新地警察官派出所附近路上で、同附近に駐車していた山電バス五台の運行阻止、同確保をめぐつて会社側移動隊員(第二組合員)ら約一五〇名くらいと支部組合側青行隊員および同支援の被告人を含む日炭高松労組員ら約六〇名くらいとがほぼ集団をなして相対立し、その各一部は入り乱れ、前部で押し合うなど危険な状態を呈するに至つたことから、これを制止分断すべく、当時その所属する山口県警察機動隊員ら三六名くらいとともに右両者の接触地点に隊列をなして進み、第二組合側前面に出て支部組合側に向いこれを押し進んでいるうち、右松井巡査において、附近の誰かの、バスの中で乱斗という声を聞き、バスを見たら二人つかみ合いをしている状況であつたのを認めたので、今度はこれを制止すべく、同巡査はすぐ同バス前部ドアに向い、そこから入ろうとしたものの開かないので後部の非常口ドアから入るべく同バス後方に向いさらに左に回ろうとした途端、前から向き合う形の日炭高松の鉢巻をしたヤツケ姿の氏名不詳者から長さ三〇センチくらいの鉄管様の棒で左腕の第二関節附近を殴られたこと、そこで松井巡査は、すぐこれを逮捕すべく右手で相手の手首あたりをつかまえ逃げるのに引つ張られるような形で追跡して数メートル進み、附近の六〇名くらいの支部組合側の群の中に突き進んで行つた事実を認めることができ、なるほど、右供述記載によると、松井巡査は日炭労組員と思われるものに鉄管様の棒で余り軽くない状態で殴られているというのに、格別打撲傷等の傷害を生じた形跡もなく、また、すぐその後なんらひるむこともなく相手の手首あたりをつかまえ追跡しているというのであり、そしてまた、附近に他の機動隊員ら警察官が相当数いたと思われるのに大声で右事実を告げ助勢を求める等の措置もとつていないことなど、幾分不自然の感を抱かせる点がないともいえないではあろうが、松井巡査の警察官としての職責、また当時の突嗟の緊迫した状況等をも考慮に入れると、いまだ右松井の証言の信用性を否定する程のことでもないといえる。その他右認定を左右するに足る証拠はない。

そうだとすると、右事実関係からして、まず右松井巡査の、右バス内の乱斗を見てこれを制止すべく同バス内に入ろうとした行為が、警察官としての職務の執行中の行為にあたることはいうまでもないとともに、その際前記暴行に対しその行為者を直ちに公務執行妨害の現行犯として逮捕しようとした行為もまたもとより適法な職務執行の範囲内に属するものとみられるところである。

そこで、さらに、その後の被告人の本件行為等について検討してみるに、原判決挙示の各関係証拠によると、右松井巡査が同人に前記暴行をなした氏名不詳者を追跡し附近の六〇名くらいの支部組合側の群の中に進入した際、右群の中にあつた被告人が、松井巡査がさらに進入して来るのを阻止するため、同巡査の後方からその頸部に手を回して首を締めた事実を認めることができ、被告人の警察および検察庁での供述も、右暴行の程度の点を除くと右暴行自体についてはこれにほぼ符合し、右を裏付けるものといえる。したがつて、被告人の右行為は客観的には公務執行妨害に当るものといえよう。

しかし、被告人が、右松井巡査の行為が右公務執行中であるということを果して認識していたかどうかという点についてはさらに検討してみる必要がある。原判決挙示の各関係証拠によると、同松井巡査は当時警察官としての制服制帽であり、前記のとおり、他の四〇名近い県警機動隊員とともに、支部組合側と会社第二組合側との接触地点附近で両群のもみ合いを制止する作業に従事している間、これから派生して前記事態も生じたものであり、被告人としても、右状況下で松井巡査が右作業と全く無関係でないなんらかの理由で支部組合側の中に突き進んでいるものであろうことは容易に認識できたし、また諒知していたものと推知することができる。しかし、松井巡査が前記のごとく暴行を受け同暴行者を逮捕しようとして追跡したという事実は、これを認める直接の証拠は松井巡査本人の証言のみであるばかりか、原審および当審で取調べたすべての証拠に徴するも、周囲にいた関係者で右事態を当時目撃したという証人は一人もいないところで、むしろ当時の状況としては、原判決挙示の各関係証拠によると、隊列あるいはスクラムを組んで相対峙する四〇名近い警察官とこれに接し支部組合側六〇名くらいの一群がたがいに拮抗する形で次第に支部組合側が後方に押し寄せられている状況であり、しかも、周囲には支部組合側と第二組合側との少なからぬ押し合い小ぜり合いもあつたとみられるいわば騒然たる状況下では、右支部組合側の一群の中にあつて他の者と右行動に専念していた被告人として、松井巡査の前記事態を容易には察知できなかつたであろうことも十分首肯しうるところといえる。そのうえ、前記松井の証言記載によると同人は日炭高松労組員と思われるものに暴行を受けこれを逮捕しようとした際、このことを大声で周囲に報せ助勢を求めるなどのことも全くしていないというものであり、また、当時機動隊員の一人として右警察官側隊列の先頭第一列目にいたという原判決挙示の吉岡計右の原審証言記載によると同人も右支部組合側を押して後退させる作業に従事している間前方ヤツケ姿の支部組合側集団の中に制帽を見つけ、よく見ると同じ隊の松井巡査であることを認め、自分はすぐ中に飛び込んで松井の首を締めている被告人を逮捕したというのであり、さらにまた、被告人自身も、司法警察員に対する弁解録取書および供述調書では、一人の警察官が自分ら組合の集団の中に入ろうとするので行かせまいとして首に手をかけたなどと述べており、検察官に対する弁解録取書、供述調書でも、一人の警察官が支部組合側と第二組合側が小ぜり合い、あるいは殴り合いしているところに行こうとしているので行かせまいとして手を首のところに回したなどと述べているわけで、少なくとも、被告人が松井巡査の首を締めようとした際に、同巡査が前記暴行を受けて、あるいはその他なんらかの理由にせよ誰かを逮捕しようとして追跡していたものであることを認識していたと認めることは困難なものといわざるをえない。むしろ右被告人の述べるところと他の各関係証拠によると、被告人は、前記機動隊の一団に押されて次第に支部組合側が後退している間、右警察官の一人が先走つて隊列を離れ支部組合側の群の中に入りすぎて来たものとも考え、これに反撥して前記暴行に及んだものと推知されなくもない。

そうだとすると、被告人には、原判決が本件公務執行妨害罪におけるその公務執行の内容として認める前記松井巡査の公務執行妨害現行犯逮捕行為なるものにつきその認識があつたと認めることができないものといわざるをえず、結局、本件は被告人の前記単なる暴行罪にあたるにすぎないものというべく、原判決は右公務執行妨害まで認めた点事実を誤認したものといわざるをえない。

なお、右公務執行の内容につき、本件の場合松井巡査の職務としては、右現行犯逮捕行為のほか前記支部組合側と会社第二組合側とのもみ合いから生ずる危険な事態の制止あるいは予防という一般的なものも含まれていないかという問題がある。本件公訴事実は、本件公務執行妨害罪における公務執行の内容としては右松井巡査の公務執行妨害現行犯逮捕行為のみとしているとみられることは、右起訴状の記載、原審第一回公判における釈明内容等に照らし明らかであるところ、かりに前記制止・予防といつた一般的職務執行に対する公務執行妨害を問題とするとしても、この場合にはまず訴因の変更を要するものと解さざるをえないうえ、しかも、右制止、予防という職務内容についても、このことが一般に公務執行にあたることはいうまでもないとしても、前記被告人の認識する範囲内に従うとき、支部組合側は機動隊四〇名近くの隊列に押されて(両組合の離隔、排除作業)次第に集団として後退していた際で、一人の警察官だけがその隊列を離れ先走つて支部組合側の群の中に突進する必要はどこにもなく、これが、右制止、予防という公務執行のうちに含まれる一態様のものとは当然には解されないところである。このようなことから当裁判所は右訴因の変更を考慮しなかつた。

右次第で、結局弁護人らの論旨は右の点で理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつて、弁護人らの控訴趣意中その余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項三八二条により原判決中被告人梶原則之の関係部分を破棄することとし、同法四〇〇条但書に則り当裁判所はさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人梶原則之は、日本炭鉱株式会社高松鉱業所労働組合の組合員であり、支部組合三六年春斗に際しその支援のため来関し同争議に参加していたものであるところ、ほか一三〇名くらいの支部組合労組員、同支援労組員らとともに、昭和三六年六月二日午前六時三〇分ころ下関市新地二町下関警察署新地警察官派出所前附近路上に駐車中の山電バスの運行阻止および同確保に赴いて会社側移動隊員ら一五〇名くらいともみ合つた際、同附近路上で、被告人を含む支部組合側の約六〇人の集団の中に入つて来た山口県警察機動隊勤務警察官松井一男(当三二年)に対し、その後方から腕で同人の頸部を締めつける暴行を加えたものである。

(証拠の標目)(省略)

(本件公務執行妨害の公訴事実につき暴行のみを認めた理由)

前記論旨に対する判断で説示するとおり。

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人らは、かりに本件につき暴行罪の認定がなされるとしても、それはその暴行の態様、程度、その前後の事情、経緯等から可罰的違法性がないか、正当な争議行為の範囲内に属するものであるもののように主張している。

しかし、右挙示の各関係証拠によると、被告人を含む、支部組合側青行隊員支援労組員ら約一三〇名くらいの者は、当時バス三台に分乗し新地町路上に駐車する山電バス五台の運行阻止のため現地に赴いたが、右阻止のためには当時の状勢として右車両確保のほかなく、現場に赴くや、右支部組合側の者は間もなく、右五台の山電バスのうち次々と二台はもとより説得などといつた方法によらないで確保し、さらに三台目まで同様確保しようとした際、結局、会社側移動隊員らにはばまれて目的を達することができなかつたという状況下において、被告人ら支部組合側の者の右バス確保攻勢に対し会社第二組合側もこれに抵抗して、双方もみ合い、押し合い、小ぜり合い等を生じ、ひいてはそのころ現場に赴いた本件被害者松井一男を含む四〇名近くの山口県警機動隊員らの介入にまで進み、右被害者松井もこのような状況下で機動隊員らの右もみ合い制止作業等に従事している間、これに関連して派生した事態のため前認定のごとき経緯で支部組合側の集団の中に進入して行つたものであり、その行為自体客観的にはなんら非難される性質のものではないことはいうまでもないうえ、被告人としても、この間の十分な認識を欠ぎ一人警察官が自己らの集団の中に突入して来たものと誤断したものとしても、他の相当な方法によらないで直ちに本件のごとき暴行に訴えてまでこれを阻止することを首肯しうる理由はどこにも見い出し難いわけで、しかも、右各関係証拠によると、本件暴行の態様、程度も単に後方から首に手をかけたという程度のものではなく、明らかに後方から首をしめあげたという内容のもので、暴行罪における暴行と評価するのになんら問題はないのみならず、その余の、右挙示の各関係証拠等により明らかな、会社第二組合側にも当時五〇センチ程度の竹の棒、板切れを携行しての行きすぎた挙動のあつたこと、警察の前記もみ合い制止等がほぼ専ら支部組合側の方に向けられ幾分不公平感を否み難いこと、さらに本件争議に至つた経緯、本件暴行当時の諸般の事情等をも十分考慮に入れても、被告人の本件行為に可罰的違法性がない、あるいは同行為が争議行為として正当な範囲内のものであるなどとはとうていいえないところである。

右主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇八条六条一〇条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号二条に該当するところ所定刑中罰金刑を選択し、その罰金額の範囲内で被告人を罰金二万円に処することとし、刑法一八条により、被告人において右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審および当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により主文二項掲記のとおり被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

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